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「クリムト展」 [アート]

「クリムト展」
2019/4/23(火)~7/10(水)
東京都美術館

19世紀末から20世紀初頭を代表する画家のひとり、
クリムトの単独の展覧会は、わたしが記憶する中では唯一だ。
事実、金箔を使用した作品は損壊の恐れがあるため
輸送には向かず、海外に持ち出されることはあまりないそうなのだ。
そんなわけで、今まで断片的にしか観たことのない
クリムトの作品が一堂に会する今回の展示を楽しみにしていた。

初期から修業時代、ウィーン分離派と時代の変遷に沿った
展示を観るにつれ、作風の変化を如実に感じることができる。
初期には家族など、身近な人物の肖像を多く手がけた。なかでも
学友であるフランツ・マッチュと同じ題材を描く作品が興味深い。
写実に徹した作品はほとんど同じに見えて、
クリムトの作品の方が、どこか闇を秘めているようで印象深い。
その当時からも際立った個性を発揮していたことを思わせた。

また、「ウィーンと日本」のカテゴリーでは
浮世絵をはじめとする東洋美術の影響が多く見られた。
ゴッホなどと同じく、縁取りのあるエキゾチックな色合いの作品が目を引く。
異国の芸術に似せるだけでなく、自身の作風として昇華させる
技術および芸術的センスの良さをを大変に感じさせる作品群だった。

今回のクライマックスといえば、やはり
「ウィーン分離派」カテゴリーだろう。
金箔を多用した《ユディトⅠ》に代表される
女性の描写がひじょうに官能的。独特な表情に魅了される。
さらには、部屋の三方を埋め尽くした
《ベートーヴェン・フリーズ》に圧倒された。
ベートーヴェンの交響曲第9番に着想を得た壁画は、
天使たちの合唱に始まり、起承転結のある物語を表す。
愛情あふれる接吻場面のラストに、なんともいえない至福を感じる。
金箔や石を贅沢に配した作品は
複製といえども迫力に満ちていて、
この作品を観ることができただけでも
来たかいがあったと思った。

全体的に豪華絢爛な作品の多いイメージだが、
《女の三世代》のように、生命と死を描く作品もある。
クリムトは芸術を通じて、人生の喜びと悲しみを
感じるとともに表していた。

また、近代の作家らしくポップアート的な作品もある。
ウィーン分離派のポスターなどは、
現代のグラフィックアートの原点を見るようで興味深い。
斬新な構図、スタイリッシュなレタリングなどに
優れたバランス感覚を観るように感じた。

旧態依然とした西欧美術からの
脱却を図ろうとするウィーン分離派の作品は
どれも生命力に満ちていて、心に迫ってくる。
ウィーンはいまだ行ったことがないが、
美術館の建物と同時に観たら、
もっとインパクトがあるだろうと思う。

独特の作品群の余韻に酔う。
ここ数年に観た美術展のなかでも特に印象深いものだった。

<東京都美術館ホームページ>
https://www.tobikan.jp/index.html

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静嘉堂文庫美術館にて [アート]

いま住んでいるところは、
自転車で行ける距離に文化的な施設が多いことが気に入っている。
世田谷美術館、世田谷文学館、岡本太郎美術館だって
気が向いたらすぐに行ける。
静嘉堂文庫美術館も近いことはずっと知っていて、
時間があるときにゆっくり行こうと思っていたのだが、
いつでも行けるだろうという油断があって、
今まで行かずにいた。

そんな折に、曜変天目茶碗のブームである。
大阪は藤田美術館の長期リニューアルに伴い、
滋賀のMIHO MUSEUM 、奈良国立博物館、
世田谷の静嘉堂文庫美術館での3碗同時公開となり、
この機を逃さない手はないとばかりに出かけた。

世田谷はいまだに謎の土地だ。
そんな住宅地の一角にひっそりと存在する
静嘉堂文庫美術館のたたずまいに一目ぼれした。

岩崎小弥太が収集したという美術品の一角に
触れる喜びを心から感じる。

自然光を背景に、曜変天目茶碗は
さまざまな表情を見せてくれた。
釉のかけかたで、焼き物はこうも表情を変えるのか。
光の当て方で、こうも見え方が変わるのか。
と、短い時間のなかにも感情があふれ出る。
掌に収まるなかに、無限に広がる宇宙の片隅を観た。
芸術品が大好きで、後世に残そうとする一心で
私財を投じて保存活動をする財界人に敬意を感じる。

芸術品は個人的に愛でることにもそれは至福を感じるものであろうが、
大衆の目に触れる場所に開陳することで
そのすばらしさを改めて感じることができるものだ。

美術館が好きだ。
展示品はもとより建物のロケーションもいい。
静嘉堂文庫美術館はその双方を満足させる。

郊外だけれど、観る価値は充分にある。
最近は私設美術館に興味がある。

財を得た人々が、美術品にどんな価値を感じ得るのか。
そして保存された美術品が、後世にどんな意義を残すのか。

そうした功績を観るにつれ、幸せだな、と思う。

BRUTUS(ブルータス) 2019年5/1号No.891[曜変天目 宇宙でござる! ?]

BRUTUS(ブルータス) 2019年5/1号No.891[曜変天目 宇宙でござる! ?]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2019/04/15
  • メディア: 雑誌



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「ムンク展―共鳴する魂の叫び」 [アート]

「ムンク展―共鳴する魂の叫び」
2018/10/27(土)~2019/1/20(日)
東京都美術館

ムンクの作品を初めて直に観たのは、
2007年に西洋美術館で開かれたムンク展だった。(リンクは本ブログ内の記事)

それ以来、久しぶりの鑑賞を楽しみにしていたが、
意外な混雑に驚いた。
「叫び」が有名とはいえ、地味で陰鬱なイメージの強いムンクが
これほど人気だとは思いもしなかった(失礼)。

今回の展示は、代表作「叫び」をはじめとする約60点の油彩画を含む
約100点を展示するという充実したものだ。
「ムンクとは誰か」に始まり、家族、魂の叫び、
男と女、風景、晩年に至るまで画家の全容に迫る。

会場に入るとまず目に入るのが、自画像とセルフポートレイトの数々。
どこを見ても、画家自身の姿が映るという自己愛に満ち満ちたコーナーだ。
ムンクといえば内面世界を表現した作品が多いが、
状態の良い時も悪い時も自分自身を見つめ、
そこから沸き起こる感情に材を取っていたのだろうと思わせる。
そうして描かれた作品群は着想を得て生み出されたというより、
衝動の赴くままに生まれてきたようである。
また、誰もが持ちうる普遍的な感情を表しているからこそ、
観る人たちの心をとらえるのではないか。

なかでも興味深かったのは、《接吻》や《吸血鬼》《マドンナ》など、
同じ題材でいくつも作品を描いているところだ。
少しずつ違うのだが、モチーフ、構図もほとんど同じだ。
何が違うのかといえば、おそらく作品に向かった時の作家の心象だろう。
カラフルになったり、彩度を欠いたりするのは、
その時々の感情が表れているからではないか。
そう考えると、ムンクはずいぶん正直な人なのだ。
とくに前述した《接吻》などは、
愛する人と一体化したいという
切なる望みを表しているようで親しみが感じられ、
ムンクの人柄にふれるようでもある。

今回の目玉である代表作《叫び》は、
たしかに圧倒的な存在感を放ち、ひときわ注目を集めていた。
不安をあおる表情、赤くうねる空、後ろを流れる川も
同様に激しくうねり、人物の感情とそれを取り巻く世界がすべて
うねうねと動き続けているかのようだ。
人物の腰と川が同じ角度にうねっているのが、
どことなくユーモラスでもある。

不安や人間の本質を描きつづけた画家の中心にはいつも、
母と姉という身近な存在を早くに亡くした経験からくる
深い孤独があった。
繊細な気質ゆえ、晩年は精神的に不安定な状況に陥ったが、
そうした人だからこそ、このような世界の見方ができたのだろうと思う。
暗く陰鬱に見える画面のなかにも、
希望に至る光をひとすじ描く。
創作活動を通して自身の精神を救おうとしていたのかもしれない。

「叫び」があまりにも有名なため、
どうしても注目が集まるが、それ以外の作品もたいへん興味深い。
じっくり眺めるほどにムンク作品の本質が見えるように思う。

気が付けば、会期もあと少し。
迷っている方、年末年始にぜひどうぞ。

<東京都美術館ホームページ>
https://www.tobikan.jp/

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横尾忠則 幻花幻想企画譚1974-1975 [アート]

横尾忠則 幻花幻想企画譚1974-1975
2018/9/5(水)~10/20(土)
ギンザ・グラフィック・ギャラリー

大きな仕事がひと段落して、一息ついた。
そんな折に美術展もしくはギャラリーをのぞいてみたいと思って、
リサーチして目に留まったのがこの展示だ。
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)に行くのは久しぶりだった。

横尾さんの作品は常にチャレンジングで、観るたびにはっとさせられる。
今回の展示はその最たるもので、
横尾作品のなかでももっとも前衛的なものと言っていいのではないだろうか。
発表されてから40年以上たつのに、まったく色あせない。
それどころか、観るたびにあらたな発見があるように思える。

今回は、1974年から75年にかけて東京新聞に連載された
瀬戸内晴美(現・寂聴)の小説『幻花』のために描かれた
挿絵を展示している。

物語の流れのままに、あらすじとともに
展示されていて、展開が明確だ。
とはいえ、内容を直接に表しているのではなく
暗喩に徹しているので、どの場面を描いたかまではわからない。
それでも、物語世界を表現するという意味では、
これ以外に考えられないというように、ぴたりとはまる。

登場する人物たちの一筋縄ではいかない心理状況、
時代のもつ不穏な空気までもシンプルな線で描き、
限られた画面のなかに過不足なく表現されている。
なかには、著者の肖像や般若心経の文字のみといったものもある。
しかし、それすらも圧倒的な存在感を放つのだ。
挿絵といえば、基本的には物語に華を添えるものといった印象があるだろうが、
横尾作品はそれにとどまらない。むしろ、
物語をリードしているといってもいいのではないだろうか。

常にあらたな表現方法を模索している
現場に立ち会った気分。
作品が生まれるその場面を見るようにも感じる。

ポスターなどのグラフィックな作品と異なり、
文章からイマジネーションを得て生み出すことの
面白さに満ち溢れている。

こうした作品を無料で観られる至福。
気軽に行ける銀座という好ロケーション。
横尾ファンにもそうでない方にも、
ひとときの幻想的な体験をおすすめしたい。

<ギンザ・グラフィック・ギャラリー オフィシャルサイト>
http://www.dnp.co.jp/gallery/ggg/

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連休文化活動 佐倉にて [アート]

人の多い場所が苦手なので、
連休だからといって特別出かけることはない。
だけど、こんなときにしかできない
ちょっとした遠出をしようと思って選んだのが
DIC川村記念美術館だ。

DIC(旧:大日本インキ化学工業)が運営する美術館で
印象派からモダンアートまでヴァラエティ豊富なコレクションを有している。
実をいうと、できた当初(1990年!)から
気になっていたのだが、千葉の佐倉という、
都心からだいぶ離れたところまで行く機会がなかなか持てなかった。
というわけで、今回思い切って行ってみたのだが、
ほんとうに気持ちのいい場所で、
今まで足を運ぶことがなかったことをちょっぴり後悔した。

美術館はもちろんだがロケーションもすばらしく、
訪れるだけでも心地よい。そんな場所はそれほど多くない。

京成佐倉からシャトルバスで30分くらい、田園風景のなかを行く。
そうしてたどり着いたのは、広大な土地に忽然と現れる
西欧の館を思わせる建物だ。
中に入れば天井が高く、ゆとりのある空間が広がっていた。
絵画をはじめとする美術品の展示もゆったりとしていて、開放感に満ちている。
混雑のストレスを感じながら鑑賞する
都内の美術館とはまるで違う。
そこにいるだけでリラックスできる、とても贅沢な場所だ。
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展示されている作品は貴重なものが多く、たとえば
レンブラントの《広つば帽を被った男》をはじめ、
カンディンスキーやピカソ、ルノワール、モネなど
錚々たる作家の作品がひっそりと立ち並ぶ。
また、フランク・ステラという作家の
モダンアート作品も多く、これまで観たことのない作風に刺激を受けた。

広大な敷地を誇る庭園もすばらしい。
白鳥のいる池を中心に、ツツジや桜、
その他さまざまな樹木が植えられていて
緑豊かななかを散策するのも楽しかった。
おそらく季節によってさまざまな表情を見せてくれるのだろう。
今度は桜の咲く時期に訪れてみたいと思った。
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レストランも評判が良いのだが、
ゴールデンウイーク中とあって、さすがに混んでいて
あきらめてしまった。
平日に再チャレンジしたいところだ。

<DIC川村記念美術館オフィシャルサイト>
http://kawamura-museum.dic.co.jp/

帰宅途中、スカイツリーに寄り道。
初めて近くで見たが、やはりでかいね、これは。
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「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 [アート]

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」
2/24(土)~5/27(日)
国立西洋美術館

スペインはマドリードにあるプラド美術館から
宮廷画家として活躍したベラスケスの作品を中心に70点を展示する。
プラド美術館の収蔵品はスペイン王室の収集品を核とする。
すなわち宮殿を飾ったコレクションを観られるとのこと。
その豪華なラインナップに魅了された。

宮廷画家の仕事といえば肖像画が主なものであり、
フェリペ4世や王子など当時の王室の人々、さらには
神話の登場人物など人物を描いた作品が多く、
いずれも人間性が如実に表れている。
なかでもやはりベラスケスの作品は描写が格段に巧みで
人間が内に持つ感情を雄弁に表し、
現代の私たちから見ても共感を得ることができるものだった。

1500~1600年代の画家というのは
現代でいえば肖像写真家に近い役割を担っていたのだろう。
というのはつまり、芸術性以前に写実性が問われていたということだ。
細部に至るまでいかに緻密に再現するかが求められていたために、
描写技術に優れた作家が厚遇されていたのではないかと思う。

今回、最も興味深かった作品は《マルス》という、
戦いのさなかに休息している軍神を描いたもの。
緊張感を解いた表情とゆるんだからだが人間らしくてとてもいい。
またルーベンスの《聖アンナのいる聖家族》も
登場する人物たちの関係性を感じさせる表情が非常に印象的だった。

思ったより地味な展示だが、
かえってじっくり見ることができてよかった。
近頃、上野の美術館に行くのは金曜日の夜が多い。
休日にわざわざ出かけるより、仕事終わりにふらりと出かける
カジュアルさがいいと思う。
個人的な希望としては、美術鑑賞はできれば
日常生活の一部に組み込みたい。
決して特別なものではなく
単なる趣味のひとつとしてあればいいと思うのだ。

ちなみに、国立西洋美術館は常設展示が非常に優れている。
作品数はもとより、定期的に展示替えをする濃やかさ、
ひっそりとした空間もたいへんに居心地がよく、
美術作品をリラックスして鑑賞することのできる
環境として、最高だと思う。
年に何度か訪れるが、まったく飽きない。
行くたびに心が満たされる。そんな貴重な場所なのです。

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大好きなロダンの《地獄の門》

<国立西洋美術館ホームページ>
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

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栗原由子 日本画展  FEAST IN THE TROPICAL RAINFOREST [アート]

栗原由子 日本画展
FEAST IN THE TROPICAL RAINFOREST
3/10(土)~3/19(月)
Bunkamura Box Gallery

2年に一度開催している栗原さんの個展を観に行く。
彼女の作品をはじめて直に観たのは2年前で、その細かい筆致と
色使いのすばらしさにたちまち惹かれてしまった。

今回のテーマは、前回の「森」から一転して「熱帯雨林」。
南国の風景は栗原さんの目にどう映るのか、そしてどう描かれるのか。
お知らせのはがきを受け取ったときから、ずっと楽しみにしていた。

エントランスを入ると、一対の孔雀が出迎えてくれた。
右には、白を基調としたクールなたたずまいの一羽。
左には、鮮やかなグリーンを基調とした華やかな一羽。
それぞれ雰囲気の異なる独立した作品でありながら、
2点でひとつの作品になるという試みだ。
遠目で見てインパクトに圧倒され、
近くで筆致をじっくり眺めてその細かさに驚かされる。
これほどのボリュームの作品にどのくらい時間をかけるのか聞くと、
それぞれ約2カ月とのことだった。その間、並行して制作は行わないのだそう。
なぜならば、「横着してしまうから」だという。
その意味するところは、手元にある色をつい使ってしまうから、とのことだ。
一つひとつの作品に向き合って、最もふさわしい色を載せていくということなのだろう。
彼女の制作にかける思いは、そんな言葉からもうかがえる。

会場を見渡すと、南国をテーマにしていることもあって、
とても色鮮やかで、躍動感がある。
描かれている鳥も象も植物たちも、
それぞれ生命力にあふれていて、生き生きとした印象を受けた。
なかでも、今回のDMに使われている作品は、
硬質な銀色の箔に濃密な色合いがよく映える。
また、どの作品にもいえることだが、背景に至るまで
細かく描き込んだモチーフの、なんと美しいこと。
いつまで見ていても飽きないほどだ。
やはり、これは印刷物ではなかなか再現できない。
実物を見なければ、本当の良さはわからない。
美術館やギャラリーをわざわざ訪れる意味は、
こうしたところにあると言っていいだろう。

また、絵だけでなく額装の工夫が見られるのも、展示ならではだ。
栗原さん自身がアイデアを出したという
「おかもち」風の額がユニークで気に入った。

以前と比べると、作品の存在感が増してきているように感じられるのは
絵を描くことへの熱意がよりいっそう強くなっているからではないだろうか。
一つひとつの作品のクオリティはもちろん、
抽象的な絵など新たな分野への挑戦にも、
そんな彼女の意思が表れているのではないかと思う。

わたしが観に行った日はあいにくの天気だったが、
それにもかかわらず多くの人が足を止め、ギャラリーを訪れた。
ガラスを通していても、栗原さんの作品が発する“圧”が
伝わるんじゃないかとも思った。

こうしたギャラリーでの展示は、作家自身の言葉に触れることもできて
見ごたえ以上のものを得ることができる。
制作にまつわるエピソードを知れば、
作品に対する見方が変わったり深まったりもする。
作品の魅力とともに栗原さんの素顔を知る機会でもあり、
刺激に満ちた時間となった。

<栗原由子さんホームページ>
http://yuko-kurihara.com/

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栗原由子さん 日本画展 [アート]

栗原由子 日本画展
―わたしの四季―

竹ノ塚の駅を降りて、ザ・下町といった親し気な雰囲気を醸す商店街を抜け、
住宅街の方面へと向かうと、ひっそりとした日本家屋にたどり着いた。
端正にととのえられた庭園を擁する「昭和の家」は、
昭和14年に建てられた民家であり、国の登録文化財に指定されている。
年月を経ていても隅々に至るまで手入れがされていて古びた感じがなく、
ゆったりとした時間が流れている。
町の喧騒から離れた空間に足を踏み入れると、
栗原由子さんの作品群が温かく出迎えてくれた。

「わたしの四季」と名付けられた作品群は、
例えば山を描くダイナミックなものから庭園に置かれた石に至るまで、
植物や石など自然に材をとっている。
一見して、その色数の多さとスケール感、そして緻密な筆の運びに驚かされる。
栗原さんの作品は主に野菜や樹木など自然をテーマにしたものが多い。
そうした自然の織りなす造形に惹かれるのだそうだ。
また、場所からヒントを得ることもあるのだという。
今回の個展の開催が決まってから描いた作品は、
庭を題材にしたとのこと。
庭は手入れが行き届いていて、それだけで完成された空間であるから、
そのものを描くのではなく、例えば石や松の木など、
視点を変えて一部に注目したのだそう。
そうして完成したのが
今回のメイン作品《Petrichor–ペトリコール–》をはじめとする作品群である。
 
 
山の遠景を描いた作品はそのスケール感がすばらしい。
以前、別の会場で見たときには大作という印象が強かったが、
日本家屋の床の間に置かれると、場にピタリとはまっていて、
その色彩がまわりの環境にしっくりなじむ。
そうして、じっくり見るうちに細部が際立ってくるように感じる。
作品の魅力のみでなく、環境も含めての見方を提示される。
すなわち、絵はどこかに置かれて人に見られて初めて完結するものであり、
所有者や見る人の心理状況や背景によって変化するものではないかという思いがする。

今回の個展で初めて栗原さんの作品を観た人は、
元からその場所にあったものと思うかもしれない。
それほど、日本家屋という背景にごく自然にはまっていた。
床の間や調度も、絵を引き立てる額縁であるかのよう。
別の場所で彼女の作品群を観たことのある私には、
作品自身が飾られる場所を選んだかのように感じられた。

野菜や魚など、身近なものに材を取り、独特の色彩で描き切る。
そうした作品は、遠目で見ても、その魅力すべてにふれることはできないだろう。
というのは、栗原さんの絵の特徴は、緻密に描きこまれたディテイルにあるからだ。
なぜ、山や野菜などがこれほど鮮やかな色彩になるのか、と尋ねてみると、
こういう色に見えるのだと語ってくれた。
色とりどりの絵の具を隙間なく塗り込めた作品を観るにつれ、
しだいに確固とした世界が浮かびあがってくる。
それは例えば野菜やくだもののもつ生命力や、自然が織りなす表情豊かな風景だ。
そうしたものたちを見つめる栗原さんの視線は鋭く、そして優しい。
創作の対象となるものたちへの愛情が画面全体に感じられる。
その美しさをどう表現するか、自分の目に見えるものをどう伝えるか、
おそらく日々、心を砕くのだろう。そうして生まれた作品群を見て、
そのものたちの美しさに初めて気づき、感嘆する。
創作であると同時に、自然の美しさを再発見するきっかけを与えてくれる。
そんな魅力あふれる栗原由子さんの創作の源泉に迫る思いがした。

2年に一度のペースで開く個展に向けて、30点ほどの新作を制作するという。
制作期間の前半は主にスケッチに力を注ぎ、
そこから作品に仕上げるものを選ぶのだそうだ。
毎日描いても追いつかないほど題材はあふれているという。
日常的な制作を通じて、着実に作品を積み上げていきたいと語る栗原さんは、
その視線の先に何を見つめているのか。
これからも生み出され続ける作品をワクワクしながら待っていたい。
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<栗原由子さんホームページ>
http://yuko-kurihara.com/


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連休文化活動 [アート]

「横尾忠則 HANGA JUNGLE」
2017/4/22(土)〜6/18(日)
町田市立国際版画美術館


20代のころ6年ほど町田に住んだことがあって、
当時はぽっかり時間が空くと、
ピクニックがてらこの美術館によく行った。
広々とした公園の中というロケーション、
駅から歩いて行けるアクセスの良さもあり、比較的訪れやすい場所だ。
さらには版画に特化した美術館という珍しさもあり、
郊外の美術館にしては来館者が多いのではないだろうか。

今回の展示は、多種多様な約250点の「HANGA」を通して
横尾忠則の創作活動の全貌に迫る。

わたしが横尾忠則の作品を意識してみるようになったきっかけは、
20代のころよく観に行った唐十郎の芝居だ。
もともと60年代のカルチャーが好きだったところに、
先輩に誘われて観に行った赤テントの芝居が
衝撃的に面白くて、その後も何度か訪れた。
その唐十郎の芝居のポスターなどを手がけていたのが横尾忠則だったのだ。
当時すでに有名なアーティストで、その活動を追うと、
思いもかけない方向へ導かれていくような怪しさにグッと興味をひかれた。
さらには文章も魅力的で、横尾の多才さを敬愛してやまない。

さて、横尾の作品といえば代表的なものはやはり芝居のポスターなどで、
ヴィヴィッドな色合いで目を引くものが多い。
その多くはシルクスクリーンだが、
木版やリトグラフもあり、それぞれの特色に合わせて
モチーフを選んでいる点が興味深い。
たとえば、東海道五十三次に材を取った作品には
木版を使い、やわらかな味わいを醸し出している。

グラフィックデザイナーとして活躍した後、
1982年に「画家宣言」をするが、それでもなお
自身の作家活動と並行してコマーシャルアートも多く手がけた。
元々、グラフィック出身ということもあり、
構成、色使いともひじょうに巧みである。
コマーシャルアートの場においても、その枠のなかで
ファインアートを実践する試みを全身で楽しんでいる印象を受ける。
制限があるなかで表現の可能性を試すといったたくらみに満ちていて、
どの作品も、独自の世界観がちりばめられている。
加えていえば、40年以上前の作品もまったく色あせることなく、
現代のアートといってもなんら違和感のないことに驚いてしまう。

作品群に一貫するのは、実験的なスタイルだ。
横尾の芸術に対する姿勢のぶれなさに感嘆した。

<町田市立国際版画美術館ホームページ>
http://hanga-museum.jp/


………………………

そして、町田に行った理由はもう一つあった。


「本の雑誌 厄よけ展」
2017/4/22(土)~6/25(日)
町田市民文学館ことばらんど
※観覧無料

1976年の創刊から42年を迎えた
『本の雑誌』の軌跡を振り返る初めての大回顧展である。
個人的なことをいえば、
『本の雑誌』、そして椎名誠との出会いが
編集とライティングの仕事を選ぶきっかけとなった。
そんなこともあり、今回の展示は自身の原点にかえる意味もあって
ひじょうに興味深かった。
初期から最新号までずらりと並ぶ表紙を見て、
「この号、よく覚えてる!」と思ったり、その変遷にしみじみしたり。
また『本の雑誌』の前身である手書きの同人誌などは
本当によくできていて、しかもどれも
作り手が楽しんでいることが伝わってきて、
紙媒体の魅力をあらためて知ることとなった。
さらには、先ごろ若くして亡くなった吉野朔美さんの
原画の展示を観て、吉野さんに教わったことの多さをかみしめる。

『本の雑誌』で紹介された本や執筆していた方々の存在、
本誌を通して得た出版活動全般にかかわる情報などが
今の自分の中心をつくってくれたのだと思う。

今回の展示に際して歴代の執筆者から寄せられたコメントもまた、
さまざまな思いが込められていて見ごたえがあった。

最近はあまりじっくり読む時間が取れなくなってしまったが、
なくなったら大変困るので、今後も
地道に読み続けていこうと思っている。

<本の雑誌ホームページ>
http://www.webdoku.jp/

<町田市ホームページ>
https://www.city.machida.tokyo.jp/


「草間彌生 わが永遠の魂」 [アート]


「草間彌生 わが永遠の魂」
2017/2/22(水)~5/22(月)
国立新美術館


ここ数年は、アウトサイダーアートに関心があって、
2014年には近江八幡で行われた「アール・ブリュット☆アート☆日本」
にも訪れたのだった。

なぜアウトサイダーアートもしくはアール・ブリュットに
興味を持ったのかは、長くなるので過去のエントリを参照していただきたい。
草間彌生に関しても、アウトサイダーアートの人というイメージがあったのだが、
今回の展示を観て、そのイメージは凌駕された。
精神のバランスをとるために描いただけとは思えない。
彼女自身、確信をもって自身の作品をアートと認識している。

今回は、草間彌生の芸術活動全般を余すところなく伝える充実の展示だ。
前衛芸術家という言葉ではくくり切れない彼女の創作の魅力にふれることができた。

会場を入るといきなり、彌生ワールドが広がる。
2009年から取り組んでいるという大型絵画シリーズ「わが永遠の魂」が
隙間なく展示されためくるめく空間。
作品群はひとつとして同じものがなく、多様性に驚く。と同時に、
ものすごい熱量に圧倒されてしまう。
ほとばしる創作意欲を止められない。
そんな切実な思いがダイレクトに伝わって、なぜかしら泣きたくなるのだ。
無数の目、人の横顔といったモチーフの洪水に酔う。
少し離れてみれば、それが感情に任せて描いたものではなく、
細かに計算を尽くして描かれたものだということが分かる。
補色を意識したインパクトのある作品、
柔らかな色合いでやさしく寄り添う作品などをみるにつけ、
彼女の心にじかに触れたように感じた。
人のために描く作品ではなく、自分のために描く作品は
閉じているようにみえるが、そうした作品こそが
人の心に届き、共感を得るものだ。

個人的には、初期作品が特に心に残った。
デッサン力、色の選び方、構成力、
どれをとってもすばらしく練れていて
完成度が非常に高い。
加えて、模索している心情を如実に映していて、とても愛しい。

また、ニューヨーク時代に描かれたという
キャンバス全体に点を打った作品群も興味深かった。
一見、ただ点を描いただけに見えるが、ずっと観ていると
そのうねりが見えてきて、感情の動きのように思えてくる。

現代アートといえばわかりづらいといって敬遠する向きもあると思うが、
感情の発露としてみれば、非常に自然なものだ。
前衛芸術を追求すればするほど、
巡り巡って原始に還るのではないかと感じた。
ポップな見た目と相反して、揺れ動く心情を映す。
そうした草間彌生の画業を見るにつけ、
人は何のために生きるのか、という問いに還る。
kabocha.jpg
六本木の夜に怪しく光る巨大かぼちゃ

<展覧会ホームページ>
http://kusama2017.jp/




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