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Noism特別公演「Mirroring Memories」―それは尊き光のごとく」 [舞台]


上野の森バレエホリデイ
Noism特別公演「Mirroring Memories」―それは尊き光のごとく」
2018/4/30(月・祝)
東京文化会館小ホール

一年に一度はバレエ公演を観たいと思っているのだが、
昨年は機会に恵まれず、2016年10月の「ハムレット」
(リンクは本ブログ内の記事 以下同)以来となった。

東京文化会館の小ホールに入るのは初めてだ。
天井が高くて巨大な筒のような形状が独特で、
どことなく聖堂を思わせた。
キャパシティは653人とあり、ダンス公演にしては小規模にあたる。
元々は小編成の音楽を演奏するための舞台なのだ。
今回、Noismの公演に際して金森穣は舞台の狭さに閉口したという。
さらには客席も何も動かしてはならぬという条件のもと、構想を考えたのだそうだ。

Noismを観るのは2014年6月の「カルメン」以来、2度目となる。
そのとき、日本にこんなに踊る人たちがいるのに
どうして名が知れていないのだろうと思ったのだが、
その状況はいまだにあまり変わらない。
良くも悪くもNoism=金森穣というイメージで、
ほかのダンサーやコレオグラファーはやはり一般に知られることはなく、
マニア向けにとどまっている感は否めない。
金森穣はそうした状況を充分理解していて、焦りを感じているのではないか。
もし自分が身を引いたら、日本のコンテンポラリーダンスは
そのまま一部の人の知るところとなってしまうのではないか。
だからこそ、次の世代を育てていかなくては。そのために
自分たちがもっとダンスの裾野を広げていかなくては、と
思っているのではないだろうか。

2008年、金森穣の恩師であるモーリス・ベジャールが亡くなった。
それが自身の誕生日であったことから、
金森は死にまつわる演劇性の強い物語舞踊を創り始めたという。
それから10年間で創作した10作品から
10のシーンを選び、新作で挟み込む形で構成したのが今回の舞台となった。

個人的なことを言えば、わたしが最後に観たベジャール作品は
2008年6月の「バレエ・フォー・ライフ」だった。
思えばその年にベジャールは亡くなったのだ。
ベジャールの作品をもう観られないという寂しさはもちろんあるが、
その後、こうしてベジャールの意思を継ぐ
ダンサーたちが育ってきたことを思うと感慨深い。

さて、今回の舞台は11人で1時間ほどの演目を踊りきるという
ミニマルなものだが、一瞬も見逃すことができないほどの濃密な時間だった。
それぞれの演目は5分足らずで、2人から4人のダンサーたちが
入れ替わり立ち替わり登場し、緻密なダンスを繰り広げる。
喜び、悲しみ、嘆き、絶望、希望など、人が生きるうえで持ちうる
すべての感情が表されているようだった。
なかでもやはり、プロローグに登場した金森譲のソロは圧巻だ。
自己表現や技術を超越して、いまこの時代に踊りで何ができるか、
自分が何をするべきなのかを表現しているように感じられた。
まるで、ベジャールから伝えられた踊りの神髄を
次の世代に語り継いでいく覚悟を全身で宣言しているようだった。

Noismのダンサーたちのテクニックは本当にすごくて
冒頭はその身体表現に惹きつけられるのだが、
舞台が進むにつれ、次第にテクニックに
下支えされている表情に魅了されていく。

いつまでも観ていたいと思う、すばらしい舞台だった。
カーテンコールの鳴りやまない拍手が耳に残っている。
これほど余韻の残る舞台は久しぶり。
観に行って本当に良かった。

<Noismオフィシャルホームページ>
http://noism.jp/

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DEDICATED2016 ―DEATH― 「ハムレット」 [舞台]

DEDICATED2016 ―DEATH― 「ハムレット」
10/2(日)
KAAT神奈川芸術劇場ホール
出演:首藤康之、中村恩恵、白井晃(声)

年に一度はバレエの舞台を観たい。
本当はもっと観たいけれど、チケットがそれほどお安くないので、
絞り込まざるを得ない。
というわけで、ことしの一本。
首藤さんの舞台を観るのは、
2008年の「空白に落ちた男」以来になる。
(リンクは本ブログ内の記事)

どちらかといえばクラシックよりもコンテンポラリーが好きで、
これまで、ベジャールやネザーランドダンスシアターをよく観に行った。
コンテンポラリーはなんでもありのため、
次に何が出てくるかわからないところが
興味深く、面白みを感じるのだと思う。
さらには、ダンサーたちの身体表現の奥深さ、
型にはまらない動きのバリエーションなどは、
観ていて飽きることがない。

今回の公演は、
シェイクスピアの「ハムレット」を題材に取った。
仕掛けとしては、ハムレット関連の展示をしている
美術館を訪れた青年が、自分に似たハムレットの肖像画を観ることによって
現実と絵の中の世界の境界を飛び越え、異世界に踏み入れるというもの。
そこから、ハムレットの物語が展開していく。

首藤さんのダンスはとてもエモーショナルで、
言葉が聞こえてくるような雄弁な動きから目が離せない。
また、中村さんとの力強く繊細なパ・ド・ドゥのすばらしさは言葉にできないほどだ。
ふたりが呼吸を合わせて心を添わせて織りなす場面を見るにつけ、
胸がつまり、ため息が出てしまう。

なかでも圧巻だったのは、オフィーリアの死に際する場面。
愛する人を失ったハムレットが
全身で泣きながら踊る姿の、なんという切なさ。
死をもって初めて知る愛情の強さに
胸を打たれ、思わず泣けてしまった。

今回の座席は3列目のど真ん中という最高に良い席で、
呼吸の音は聞こえるし、筋肉のこまかい動きまで見えるし、
それはもう、舞台のすべてを鑑賞することができて、大満足だった。

こういう舞台を観ると、
トップに立つダンサーたちの存在に圧倒されるとともに、
無性に踊りたくなったりもするのだった。


<KAATホームページ>
http://www.kaat.jp/





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「立川談春 新春独演会2016」 [舞台]


「立川談春 新春独演会2016」
1/11(月・祝)
よみうりホール


成人の日。
だから、というわけではないが
きものを着てお出かけした。
きもので都会に出るのは初めてで、ちょっとドキドキ。
何故かというと、落語を聞きに行ったから。
雰囲気づくりというか、カッコから入るというか、そんなところです。

父親が落語好きで、子供のころから
落語の本をよく読まされたり、笑点を一緒に見たりしていたし、
大人になってからは、仕事で知り合う人に
落語好きが多かったので、生で観る機会は今までもたまにあった。
だけど、そのほとんどは寄席もしくは何組も出演する会だったので、
独演会は今回が初めてだ。
しかも演者は、
昨年から各メディアへの出演などが
話題となっている立川談春。
談春さんの新春独演会は、
いまたいへんなプレミアムチケットらしい。
きものを通じて知り合った方にお声をかけていただき、
幸運にも行く機会を得たのです。

**************

演目は「明烏」と「子別れ(下)」。
両方とも落語ファンならだいたい知っている
メジャーなもの、とはいえ、わたくし
ほかの人のをきちんと聞いたことがないので絶対評価しかできない。


“まくら”は、
昨年後半からつづくメディアのお話。
わたしは実は一度も見ていないのだが、
ドラマ「下町ロケット」への出演が好評だったそうだ。
ドラマ出演のエピソードやその感想などを、
自虐を込めてとても楽しそうに語ってくれた。
また、先月28日に放映された
自身の著作のドラマ化である「赤めだか」についても、
もうそれだけでひとネタになりそうなほど、聴きごたえがあった。
こちらはたいへんな豪華キャストで、
嵐の二宮くんが談春、ビートたけしが談志、
香川照之が志の輔を演じた。それについては
周りからおもしろおかしくクレームがついたとか、つかなかったとか。

しかしそれはただの前振りで、
本題の演目に入ると、一瞬で真剣な面持ちになり、
会場全体の空気ががらっと変わって、おおっという感じ。


「明烏」は話の行く末がわかっていても
思わず笑ってしまう、愉快な話。
ドライブ感にあふれていて、
気がついたら物語世界に引き込まれ、
若旦那はじめ登場する人物たちの
小気味よいやりとりを存分に楽しんだ。

対して「子別れ(下)」は、
酒癖と女癖の悪さがもとで離縁した夫婦が
けなげな息子の手回しのおかげで元の鞘に収まるというもの。
せりふの妙を楽しむとともに、息子の一生懸命な姿にほろりとする。
いわゆる“いい話”なんだが、そういうのも悪くない。


今更だけれど、落語ってたいへんな芸だ。
一人で何でもやらなければならないから、
人物の切り替えも場面転換も自由自在。
言葉から想像される世界の広がりを感じさせられる。
登場人物たちの人柄、
彼らが歩く街の様子、出会う人々の様子などなど、
とても自然に映像を思い浮かべることができるって
やはりすごいと思う。
談春さんは、そうした切り替えがとても自然でスムーズで、
緩急のつけ方も見事だ。
良くも悪くも話者を感じさせないとも思ったが、
そこのところを、演者はどうとらえるのだろう。
自身の個性が前面に出るほうがよいのか、
それとも話のおもしろさを際立たせたいのか。
あるいは両方を目指すのか。

古典落語はとくに、誰もが知っているネタばかりだから、
古くからのファンは、いろんな人を聴き比べたり、
その時の調子の良し悪しまでわかったりするものなのだろう。
そんなふうに厳しい目が多くあるなかでも、
連綿と続く芸を全身全霊をかけて伝えていこうとする
人たちに敬意を感じずにはいられない。
身ひとつで物語を表現するとは、
これぞまさにエンターテインメントの極み。

ことし一発目の舞台鑑賞が落語とは、また
思いもかけない出来事でした。
今までまったく知らなかったのだが、
落語がかかる小屋は、都内にも相当あるらしい。
ちっちゃなところで全然知らない人を見るのも
おもしろいのかもしれないね。

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「いやおうなしに」 [舞台]

「いやおうなしに」
1月9日(金)~1月12日(月・祝)
KAAT神奈川芸術劇場

脚本:福原充則
演出:河原雅彦
音楽:Only Love Hurts(面影ラッキーホール)
出演:古田新太、小泉今日子、高畑充希、三宅弘城
    高田聖子、山中崇、田口トモロヲ ほか


古田新太とキョンキョンが
出演するとの情報が入って、
内容も分からないまますかさずチケットをとった。
東京公演があるとも知らず、
KAATまでプチ遠征。大好きなホールだ。

この演目は、「面影ラッキーホール」の音楽にのせてつづる
「歌謡ファンク喜劇」と銘打っている。
面影ラッキーホールの音楽は、たとえば
「好きな男の名前腕にコンパスの針でかいた」
「あんなに反対してたお義父さんにビールつがれて」
「俺のせいで甲子園に行けなかった」……といったような、
描写がこまかく非常に映像的かつ衝撃的な曲ばかり。
その音楽の世界を再現するため、歌詞にあてて書いた
いわゆる音楽ありきの芝居なので、
ストーリーは後付けといっていいのだろう。

高校生の時に野球部で甲子園を目指していたが、
不祥事を起こして行けなかった男とその家族、
先輩など彼らを取り巻く人々のやるせない日々を
歌と踊りを盛り込み、描いている。

古田さんとキョンキョンのやさぐれ感が半端なく、
手放しで楽しいといえる芝居ではない。
田口トモロヲや高田聖子さん、三宅弘城くんなど
ベテランぞろいのキャストの練れた演技もあいまって、
物悲しく郷愁をそそる。
そのなかでひときわ若い高畑充希という役者が
かわいらしい見た目に反して堂々としていて、とても良かった。

歌謡ファンク喜劇というだけあって、
歌えるキャストがそろった。
皆さん、声量があって聴かせるんだなー。
聖子姐さんの情感あふれる歌声に聴き惚れ、
トモロヲさんの年季の入った歌声にワクワクする。
キョンキョンは歌いだすと
たちまちアイドルになってしまうが、それもまたご愛嬌。
いつまでもかわいくて魅力的な人だ。

古田さんはテレビでみると全然よくないのに、
舞台で観ると驚くほどかっこいい(失礼)と改めて感じた。
芝居のスケールが舞台的だからだろう。
舞台で本領を発揮する人が好きだ。
全身で表現しないと伝わらないものだから、
体の隅々まで演技に入っている彼らはとても好もしい。

全体的に少々バタバタしていたけれど、
ラストに力技で無理やりまとめているところはさすが。
キョンキョンをはじめキャスト目当てで観に行ったが、
こういう芝居も悪くないと思う。

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「近藤良平のモダン・タイムス」 [舞台]


「近藤良平のモダン・タイムス」
1月16日(金)、17日(土)
東京芸術劇場プレイハウス


ダンスつながりの友人から
たまたまチケットをいただいて、
近藤良平の舞台を初めて観に行った。
コンドルズが出始めたころからずっと気になっていたのだが、
なかなか観ることができなかったので、とても良い機会になった。

今回の舞台は、一般参加者を募って
ダンスの新しい可能性を発見する試みとして開催された。
テーマは
「ダンスで種まき、ダンスを耕し、ダンスが実る」。
30名の一般参加者に加え、
元ベジャール・バレエ・ローザンヌの小林十市(!)、
篠原ともえ、ミュージシャンのたむらぱんが参加して、
ダンスあり、音楽あり、コメディあり、の
バラエティ豊かなパフォーマンスを繰り広げる。

ジャンルでいえば、いわゆるコンテンポラリーダンスなのだけれど、
既存のジャンルや音楽にとらわれず、自由な発想でつくられている。
全身で表現すること、ただそれだけだ。
だから、同じ振りでも人それぞれに解釈が違い、
その人なりのダンスになる。
一人ひとりの背景や思いまでもが見えてくるのが興味深い。

近藤良平の踊りはダイナミックで大陸的。
シャープなラインが空間を切り裂き、軌跡を見せる。
対して小林十市は、長い手足をフルに動かし、
空気を揺り動かすかのようだ。
小林十市の踊りは、2002年のベジャール公演で観て以来だったが、
変わらぬ元気な姿を観ることができて良かった。

メインアクト以外のダンサーもそれぞれの個性をいかんなく発揮する。
なかでも北尾亘というダンサーがとても良かった。
どこにいてもすぐにわかる、その存在感に惹かれる。

ダンサーたちに囲まれて小林十市がソロを踊る場面が圧巻だった。
また、近藤良平がギターを弾き、小林十市が口笛を披露する
パフォーマンスも意外性があって楽しい時間だった。

こうしたダンス公演は、ダンスを見慣れていない人には
ハードルが高い印象があるだろうが、
篠原ともえとたむらぱんの参加によって
親しみのもてるものになったのではないだろうか。

演じる彼らがとても楽しそうで、
観ているこちらも自然と笑顔になる。
あれだけ自由に体を踊らせることができるというのは
どんな気持ちだろう。
自分ももっと踊りたい。踊らなければ、と思う。
モチベーションあがっちゃうな。
さて、今年は何を踊ろうか。

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劇的舞踊「カルメン」 [舞台]


Noism設立10周年記念企画 Noism1×Noism2合同公演
劇的舞踊「カルメン」

6/20(金)~22(日)
神奈川芸術劇場

Noismはりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館の
劇場専属舞踊団として設立された。
日本初、そしていまだ国内唯一の劇場専属舞踊団である。

クラシックバレエも含め、
ダンスという芸術は日本では
ビジネスとして成り立ちにくい。
その背景には、わが国では
ダンスを含む芸術文化を育てる土壌が
充分ではないことがあげられる。
ダンサーがダンス一本で生活することはなかなか難しく、
さらには定期的に公演を行うためのホール、予算などが
不足しているのが現状だ。
そのためNoismは、日本国内では大変貴重な存在である。

モーリス・ベジャールやネザーランド・ダンスシアターといった
コンテンポラリーダンスを主とするカンパニーが
とても好きで、20代のころからよく観ていたので、
金森穣という名は自然に記憶していた。
その彼が立ち上げた舞踊団の公演を
ずっと観たいと思っていて、今回はじめて観る機会を得た。
舞踊団設立10周年の記念公演である。

今回の演目は、
オペラやバレエで世界的に有名な「カルメン」。
メリメの原作とオペラの台本をもとに、
Noism独自の物語を描くという。
コンテンポラリーダンスでどのように
アプローチするのかに注目が集まった。

舞台は、旅の学者メリメがひとりの男と出会うところから始まる。
その男とは逃亡中の犯罪者であった。
犯罪者と接触したことから学者は成り行き上、
事件に巻き込まれる形となり、語り手として見届けることになる。

……という設定をはじめ、
すべてが新鮮で、一瞬たりとも目が離せない。
影絵や人力回り舞台などを取り入れ、
見せ場を自在に切り替える場面転換やスペースの扱い方が独特で面白い。

野生の女カルメンははだしで自由奔放に動き回り、
誰にも所有されない女の性質を表す。
対してドン・ホセは、婚約者がいながらもカルメンの妖艶さに
惹かれていく葛藤をストイックに見せる。

主役のふたりをはじめ、
登場するダンサーたちの身体表現に圧倒される。
人間の体はこうまで動くのか! 
隅々まで神経を行きわたらせ、体を踊らせる彼らは、
空間と一体になりながらも、
自身の存在を一瞬ずつ焼きつけていくかのようだ。
強靭な筋肉をコントロールすることで生まれる、
ダイナミックで美しい動きに思わずため息が漏れる。
中でも、女たちの群舞、ドン・ホセとミカエラの
パ・ド・ドゥ(でいいのかな)は圧巻だった。

内にパワーを秘めながらも爆発させることなく
コントロールして、ここぞというところで解放する。
コンテンポラリーダンスの真髄、
舞台芸術の極みを観た感がある。

どうしてもテクニックにばかり目が行きがちであるが、
ダンサーたち自身の魅力も存分に表されていたように思う。
井関佐和子演じるカルメンは、
オシャレでカッコ良くてクールなたたずまいがいい。
スタイリッシュなラストもまた素晴らしかった。

自身の体ひとつで表現する人を尊敬してやまない。
限界がわからないからこそ、追い込んで追い求めて
新たな境地を開こうとする姿に惹きつけられてしまう。


自分の目で見ないと分からないことが世の中には多すぎる。
すべてを経験することなんて到底できないけれど、
興味の向くところにはなるべく行くことにしたいと
あらためて感じた。

<Noism web site>
http://www.noism.jp/


劇的舞踊「ホフマン物語」 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: (株)カズモ
  • メディア: DVD


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「ロスト・イン・ヨンカーズ」 [舞台]


「ロスト・イン・ヨンカーズ」
2013年10月5日(土)~11月3日(日)
パルコ劇場

作:ニール・サイモン
上演台本、演出:三谷幸喜
出演:草笛光子、中谷美紀、松岡昌宏、小林隆、浅利陽介、入江甚儀、長野里美

パルコ劇場40周年記念公演。
三谷幸喜が劇作家を目指すきっかけになった、自身の原点ともいえる
ニール・サイモンの作品を初演出した。

舞台は1942年、ニューヨーク州のヨンカーズ。
ジェイとアーティの兄弟は、父に連れられて祖母の家にやってきた。
借金の返済のため出稼ぎに出ることにした父エディは、
彼が不在の間、兄弟を預かってほしいと祖母に懇願する。
厳格な祖母は、父にとっても、同居しているベラ叔母にとっても
逆らうことのできない恐ろしい存在だ。
兄弟は正直なところ、ヨンカーズに暮らしたくはなかったが、
他に仕方はなく、祖母と同居することになった。

ベラ叔母は、幼いころ猩紅熱にかかったため、少々おつむが弱い。
ルイ叔父はギャングに追われているらしく、
ガートルード叔母は言語障害がある……と、
家族はそれぞれどこか問題を抱えているらしい。
そんな中、ベラ叔母は、兄弟にある秘密を打ち明け、
味方になってほしいと頼む。
また、ギャングに追われているというルイ叔父が
突然帰宅し、しばらく滞在することに。
癖のある家族たちに翻弄され、戸惑いながらも
兄弟はいつしかヨンカーズになじみ、時には
果敢にも祖母に向かって主張したりする。
また、そうした二人の存在は、冷え固まっていた
家族の雰囲気を次第に緩ませていくのだった。

エディ、ベラ、ルイ、ガートルードの四きょうだいは、
自分たちの主張を少しも認めてくれない母親を憎んでいる。
……ように見えるのだが、思わぬところで彼らの本音が明かされ、
お互いに対する思いは徐々にわかってくる。
母親の支配から逃れたいという思い、だけれども
どうしても断ち切れないという思いが彼らの心の底に重く流れ続けている。
それは、彼らをヨンカーズに縛り付けると同時に、
逆説的であるが、抵抗する必要のない安らぎを与えているのかもしれない。

会話が少々まどろっこしく冗長なところもあるが、
総じてテンポよく、緩急がほどよい。
翻訳劇は、言葉どおり訳しても理解しづらいことがままあり、
説明的になってしまう傾向があるが、三谷幸喜ならではの
皮肉も笑いも込めたせりふで、舞台の世界に一気に引き込まれていった。
脚本の良さに加えて、キャストも大変良かった。
他を圧する存在感で冷徹な祖母を演じきった草笛光子、
難しい役どころをかわいらしく演じた中谷美紀、
典型的な人物像に、親しみと可笑しさを添えてより立体的に見せた松岡昌弘、
エディをコミカルに演じた小林隆が特に好演を見せた。

祖母が自身の家族への思いを独白する場面がたいへん印象的だ。
なぜ、子供たちに冷たく接してしまったのか、
なぜ、自らの心を押し隠してしまったのか。
心の奥底に隠された真実が明かされた時、
彼女の内面に触れた思いがして、胸が熱くなった。


市井に生きる人々の暮らしに潜むドラマを
時にユーモアを交えて誠実に描き出す。
こうした正統派のお芝居を観るのはとても久しぶりだった。
音楽劇やコメディと違って、
こうしたお芝居を見る時は、少し緊張するけれど、
たまに観ると、やはり良いものだ。姿勢が正される思いがした。

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「レミング~世界の涯まで連れてって~」 [舞台]

「レミング~世界の涯まで連れてって~」
4月21日(日)~5月16日(木)
パルコ劇場

作:寺山修司
演出:松本雄吉(維新派)
出演:八嶋智人、片桐仁、常盤貴子、松重豊


今年は寺山修司没後30年にあたるため、記念事業や記念出版物が相次ぐ。
本公演はその一環として行われたもの。
寺山が最後に再演を手がけた「レミング」に、
「ヂャンヂャン☆オペラ」という独特の舞台を手がける維新派の松本雄吉が挑む。

寺山の芝居は「毛皮のマリー」しか観たことがない。
あとはテレビで放映されるものを部分的に観ただけという乏しい経験のため、
寺山の演劇はほぼ初体験といっていい。
維新派を観るのも、じつに約20年ぶり。
汐留の空き地(ビル群ができる前の)で小雨の中、
維新派初の「ヂャンヂャン☆オペラ」である
「少年街」(1991年)を観たときの衝撃は忘れがたい。
それまでに観たことのない不思議なパフォーマンスで、
なんだかわからないものの印象深かった。


世紀末を思わせる退廃的な都市を背景に、
表しがたい奇妙な物語が展開する。
中華料理店で働くふたりの男が住む
下宿の壁が突如、消失した。
壁の向こうには病に冒された夫と、看病をするその妻がいたが、
壁が消えたことすら気づかずにいる。
そんな不思議な出来事を機に、出口の見えない迷宮に吸い込まれていく……。

ストーリーだけを取りあげれば不可思議でシュールと言わざるを得ないが、
舞台美術や芝居、音楽といった表現要素それぞれのクオリティは非常に高く、
それらが有機的に絡み合いながら繰り広げる舞台は退廃的かつ官能的な
独特な雰囲気を醸し出しながらも、どこか懐かしく、ふっと心が緩む場面もあった。
役者たちが舞台を埋め尽くし、変拍子に合わせて身体でリズムを刻む群舞場面が非常に面白い。
また、キレよく言葉遊びのように繰り出されるセリフの数々も楽しめた。

主役である片桐仁と八嶋智人が思いのほか(失礼)好演していた。
役者についていえば、松重豊は登場場面が意外に少ない。もっと観たかった。
常盤貴子はルックスは素晴らしいが、舞台向きではないかもしれない。
声が前面に出ないのが惜しかった。


虚構の世界と現実の境目がなくなった状況であるのに、むしろ
固定観念や思い込みといったような心の壁にとらわれているようにも見えた。
考えるというより五感をフルに活用するような、感じる芝居。
寺山ならではの世界観に沿ってはいるものの
全体的にうまくまとめてあって、
モダンかつスマートな芝居という印象だ。


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NODA・MAP 「ザ・キャラクター」 [舞台]



NODA・MAP 第15回公演 「ザ・キャラクター」
6/20(日)~8/8(日)
東京芸術劇場 中ホール

作・演出:野田秀樹
出演:宮沢りえ、古田新太、藤井隆、美波、池内博之
   チョウソンハ、田中哲司、銀粉蝶、野田秀樹、橋爪功


昨年の年明けに観た第14回公演「パイパー」があまりにも良かったため、
発売と同時にチケットを入手した。
宮沢りえが見たかったのはいうまでもない。
加えて、古田新太の出演も大きなきっかけとなった。

勢い込んでとったにもかかわらず2階の最後列だったが、
せり出しのため、思ったよりも見やすかった。
ここのホールは椅子の感じもよくて、
長く座っていても疲れないのがいい。
とはいえ2時間15分、予定通りきっちり終えた公演は、
一瞬も長さを感じさせなかった。


宮沢りえ演じるマドロミは、弟を探して街の書道教室にやってきた。
指導する家元(古田新太)はカリスマ性のある人物らしく、
教室に教えを請う人が殺到している。
そのなかでマドロミは住み込みを許され、
弟の行方を探り始めるのだが……。

書道教室に端を発したストーリーは、ギリシア神話へ展開し、
メタフィクションとも思えるいくつもの物語を含みつつ進行する。

書道教室とギリシア神話、一見接点の見つからないふたつを
言葉遊びを駆使して結びつけた発想に驚かされる。
そもそも、冒頭で漢字の成り立ちに触れ、
言葉の多義性に着目するアイデア自体がすばらしく、舌を巻く。
洪水のように繰り出されるせりふを聴きもらすまいと
身を乗り出していると、今度は圧倒的な迫力をもって迫りくる
役者(ダンサー)たちの多彩な身体表現に目が釘付けになる。

寝ぼけた頭をノックアウトするようなスピーディーなストーリーと、
感覚にダイレクトに訴えてくるヴィジュアルのインパクトに、
全身の感覚が研ぎ澄まされる。
日頃使わない脳みその部分がかき混ぜ合わされ、
有無を言わさず活性化させられるのだ。

冒頭、宮沢りえのざらついた声が気になったが、
張りのある声とキレのいい動きはもはや、
舞台人として申し分ない。
堂々とした姿に目を奪われる。
対する古田新太も、ふてぶてしく腹黒い役が
じつにふさわしく、舞台にとても映えていた。
けがで休演していた銀粉蝶も復活し、たしかな芝居を見せてくれる。
さらには、美波、池内博之ら若手俳優たちの
生き生きとした演技もじつに見ごたえがあった。


まさかのラストだった。
そんなところに着地するとは、と驚愕した。
狂信的な集団心理の恐ろしさ、そして
いつの時代にも、誰にも持ちえる
人間の暗くゆがんだ感情の普遍性を一貫して描く。
笑いどころもきちんと押さえ、究極のエンタテインメントとして
仕上げながらも、人間の本質、モラルを問うてくる。
重い、だけど逃れられない事実を
野田秀樹は叩きつけるように、包み隠すことなくつきつけてきた。

終演後、同じ空間で同じ芝居を観た人が
どう感じるのか、ものすごく気になった。
人それぞれ、とらえかたが違うのではないだろうか。
できれば、一人でも多くの人に観てほしい。
そして、どう感じたのか教えてほしい、そう思わされる芝居だった。
それはもしかしたら、自分の感覚を信じられなかったからかもしれない。
どこか不穏な感情が、いまも心の中を渦巻いている。


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「マレーヒルの幻影」 [舞台]

「マレーヒルの幻影」

2009/12/5~12/27 本多劇場

作・演出:岩松了
出演:麻生久美子、ARATA、三宅弘城、荒川良々、
    市川実和子、松重豊


岩松了の芝居作品を一度観てみたかったというのが、まずひとつ。
加えて、荒川良々、三宅弘城をはじめとするキャストの良さが
今回の舞台を観るきっかけとなった。
主役を演じるARATAと麻生久美子は初舞台だったそうだが、
ベテラン役者たちと並んでも、まるで遜色ない。
キャリアに不足を感じさせず、安心して観ることができた。
13日の昼公演を観に行ってきた。

1929年、大恐慌が起きた年のニューヨークを舞台に、
フィッツジェラルド作『グレート・ギャツビー』を下敷きにして
時代の波に翻弄される人々の愛憎を描くドラマ。
ニューヨークに日本人が群れ集う設定に
どこかしら不自然な感じがして最初は戸惑ったが、
観るうちに慣れてきて、違和感がうすれてくる。
違和感があるのはむしろ、外人の役者が登場して
英語のせりふをしゃべることだ。しかも
字幕を出さないのだが、おそらくそれも演出の一環。
わからなくていいのだと思う。

全体をおおう退廃的な雰囲気はフィッツジェラルドの作品世界のままに、
物語の展開というより、エンディングに至るプロセスを見せる。
登場人物たちが交わす会話が変だ。
人の話をまるで聞いていなかったり、
途中でさえぎったり、戻したりと、
とにかくかみあわない会話の応酬を見るかぎりでは、
ディスコミュニケーションがテーマなのかと思ったが、
それはあくまでもレトリック的な手法に過ぎず、
最終的には三角関係のもつれに終わるという、
ありきたりのロマンスなのであった。

音楽やコントなどの要素が入らない、
いわゆる演劇らしい演劇を観たのは久しぶりだ。
手放しにおもしろいと言える演目ではないが、
きちんと向きあって考えながら観る芝居も悪くない。
頭の中の日頃使っていない部分が活性化されたような感じがする。
こうした作品は、いつか何かに変換されて、
いずれ自分の中に蓄積されてゆくのだろうと思う。

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