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Noism特別公演「Mirroring Memories」―それは尊き光のごとく」 [舞台]


上野の森バレエホリデイ
Noism特別公演「Mirroring Memories」―それは尊き光のごとく」
2018/4/30(月・祝)
東京文化会館小ホール

一年に一度はバレエ公演を観たいと思っているのだが、
昨年は機会に恵まれず、2016年10月の「ハムレット」
(リンクは本ブログ内の記事 以下同)以来となった。

東京文化会館の小ホールに入るのは初めてだ。
天井が高くて巨大な筒のような形状が独特で、
どことなく聖堂を思わせた。
キャパシティは653人とあり、ダンス公演にしては小規模にあたる。
元々は小編成の音楽を演奏するための舞台なのだ。
今回、Noismの公演に際して金森穣は舞台の狭さに閉口したという。
さらには客席も何も動かしてはならぬという条件のもと、構想を考えたのだそうだ。

Noismを観るのは2014年6月の「カルメン」以来、2度目となる。
そのとき、日本にこんなに踊る人たちがいるのに
どうして名が知れていないのだろうと思ったのだが、
その状況はいまだにあまり変わらない。
良くも悪くもNoism=金森穣というイメージで、
ほかのダンサーやコレオグラファーはやはり一般に知られることはなく、
マニア向けにとどまっている感は否めない。
金森穣はそうした状況を充分理解していて、焦りを感じているのではないか。
もし自分が身を引いたら、日本のコンテンポラリーダンスは
そのまま一部の人の知るところとなってしまうのではないか。
だからこそ、次の世代を育てていかなくては。そのために
自分たちがもっとダンスの裾野を広げていかなくては、と
思っているのではないだろうか。

2008年、金森穣の恩師であるモーリス・ベジャールが亡くなった。
それが自身の誕生日であったことから、
金森は死にまつわる演劇性の強い物語舞踊を創り始めたという。
それから10年間で創作した10作品から
10のシーンを選び、新作で挟み込む形で構成したのが今回の舞台となった。

個人的なことを言えば、わたしが最後に観たベジャール作品は
2008年6月の「バレエ・フォー・ライフ」だった。
思えばその年にベジャールは亡くなったのだ。
ベジャールの作品をもう観られないという寂しさはもちろんあるが、
その後、こうしてベジャールの意思を継ぐ
ダンサーたちが育ってきたことを思うと感慨深い。

さて、今回の舞台は11人で1時間ほどの演目を踊りきるという
ミニマルなものだが、一瞬も見逃すことができないほどの濃密な時間だった。
それぞれの演目は5分足らずで、2人から4人のダンサーたちが
入れ替わり立ち替わり登場し、緻密なダンスを繰り広げる。
喜び、悲しみ、嘆き、絶望、希望など、人が生きるうえで持ちうる
すべての感情が表されているようだった。
なかでもやはり、プロローグに登場した金森譲のソロは圧巻だ。
自己表現や技術を超越して、いまこの時代に踊りで何ができるか、
自分が何をするべきなのかを表現しているように感じられた。
まるで、ベジャールから伝えられた踊りの神髄を
次の世代に語り継いでいく覚悟を全身で宣言しているようだった。

Noismのダンサーたちのテクニックは本当にすごくて
冒頭はその身体表現に惹きつけられるのだが、
舞台が進むにつれ、次第にテクニックに
下支えされている表情に魅了されていく。

いつまでも観ていたいと思う、すばらしい舞台だった。
カーテンコールの鳴りやまない拍手が耳に残っている。
これほど余韻の残る舞台は久しぶり。
観に行って本当に良かった。

<Noismオフィシャルホームページ>
http://noism.jp/

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「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 [アート]

「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」
2/24(土)~5/27(日)
国立西洋美術館

スペインはマドリードにあるプラド美術館から
宮廷画家として活躍したベラスケスの作品を中心に70点を展示する。
プラド美術館の収蔵品はスペイン王室の収集品を核とする。
すなわち宮殿を飾ったコレクションを観られるとのこと。
その豪華なラインナップに魅了された。

宮廷画家の仕事といえば肖像画が主なものであり、
フェリペ4世や王子など当時の王室の人々、さらには
神話の登場人物など人物を描いた作品が多く、
いずれも人間性が如実に表れている。
なかでもやはりベラスケスの作品は描写が格段に巧みで
人間が内に持つ感情を雄弁に表し、
現代の私たちから見ても共感を得ることができるものだった。

1500~1600年代の画家というのは
現代でいえば肖像写真家に近い役割を担っていたのだろう。
というのはつまり、芸術性以前に写実性が問われていたということだ。
細部に至るまでいかに緻密に再現するかが求められていたために、
描写技術に優れた作家が厚遇されていたのではないかと思う。

今回、最も興味深かった作品は《マルス》という、
戦いのさなかに休息している軍神を描いたもの。
緊張感を解いた表情とゆるんだからだが人間らしくてとてもいい。
またルーベンスの《聖アンナのいる聖家族》も
登場する人物たちの関係性を感じさせる表情が非常に印象的だった。

思ったより地味な展示だが、
かえってじっくり見ることができてよかった。
近頃、上野の美術館に行くのは金曜日の夜が多い。
休日にわざわざ出かけるより、仕事終わりにふらりと出かける
カジュアルさがいいと思う。
個人的な希望としては、美術鑑賞はできれば
日常生活の一部に組み込みたい。
決して特別なものではなく
単なる趣味のひとつとしてあればいいと思うのだ。

ちなみに、国立西洋美術館は常設展示が非常に優れている。
作品数はもとより、定期的に展示替えをする濃やかさ、
ひっそりとした空間もたいへんに居心地がよく、
美術作品をリラックスして鑑賞することのできる
環境として、最高だと思う。
年に何度か訪れるが、まったく飽きない。
行くたびに心が満たされる。そんな貴重な場所なのです。

IMG_2744.JPG
大好きなロダンの《地獄の門》

<国立西洋美術館ホームページ>
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

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