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「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」 [アート]


「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」
6月18日(水)~9月1日(月)
国立新美術館

バレエ、衣裳、音楽、美術。
どれもが好みで、それらが一堂に会する展覧会というので、
これはぜひ行かねばと思っていた。
バレエ・リュスについてはあまり知らなかったのだけれど、
夏休みに特に予定がなかったので、ふらりと足を運んでみた。


バレエ・リュスとは、
1909年から29年という短い期間に活動した
ディアギレフ主宰のバレエ・カンパニー。
「ロシア・バレエ」という名でありながら
革新的なプログラムを手がけたことにより、また
当時の芸術家たちが活躍した場としても注目された。
衣裳、音楽、プログラムなど、そのすべてを
完成された芸術として見ることができる。
舞台芸術を超越して、総合芸術をなしえた
団体といえるのではないだろうか。

展示の中心は、
舞台で実際に使用されたきらびやかな衣裳の数々。
現在、バレエの演目でみられるチュチュの類とはまるで違い、
見るからに重そうな、布をふんだんに使った衣裳がずらりと並ぶ。

伝説のダンサーといわれるワツラフ・ニジンスキーらが
身にまとった衣裳は、刺繍やプリントが大胆に配され、
その一つひとつがいちいち完成度が高い。
現代の街で見かけたら、おしゃれ!と思えるような
斬新なデザインとポップな配色に目を惹かれる。
ダンサーとしては踊りにくかっただろうが、
着るだけなら相当に楽しかったのではないかと思えてくる。

中にはマティスやキリコなど、
同時代に活躍した芸術家がデザインを手がけた衣裳もある。
みれば、いかにもという感じだ。
キリコの衣裳はまるでギリシア彫刻を施した建物のようで、
絵画も衣裳も表現する場であることにおいて
共通しているのだということを感じさせられた。

また、展示品としては地味でありながらも、
公式プログラムやポスターも相当に見ごたえがある。
ジャン・コクトーが手がけたという公演ポスター。
ピカソが表紙のデザインを手がけた公式プログラム。
これほどに美しい刷りものが
現在まできちんと残されていることに感謝せざるを得ない。
濃やかな装飾が施されていて、みるほどに美しい。

活動期間は少ないながらも、
前衛的で濃密でありつづけた。
これぞ、芸術のあるべき姿といってもいいのではないだろうか。
バレエ好きなら必見。
20世紀初頭の芸術が好きな人にもおすすめしたい。



<展覧会オフィシャルサイト>
http://www.tbs.co.jp/balletsrusses2014/


ビジュアル版バレエ・ヒストリー バレエ誕生からバレエ・リュスまで

ビジュアル版バレエ・ヒストリー バレエ誕生からバレエ・リュスまで

  • 作者: 芳賀 直子
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2014/06/17
  • メディア: 単行本



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「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」 [アート]

「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」
2014年6月28日(土)~9月15日(月・祝)
世田谷美術館

暑いさなか、汗だくになってチャリをこぎこぎ向かうと、
世田谷美術館はいつにない混み具合。
何事、と思い調べてみると、
前日に日曜美術館で紹介されたとのことだった。
メディアの力は侮れない。


19世紀後半から20世紀初頭に西洋で流行した日本美術は、
印象派を中心とする芸術家たちに大きな影響を与え、
ジャポニスムという現象を生み出した。
今回の展示では、クロード・モネの《ラ・ジャポネーズ》をはじめ、
ボストン美術館の所蔵品から約150点を紹介する。

広重や北斎、歌麿などの浮世絵と
印象派のモネ、ゴッホやロートレックらの作品を
並べて展示し、その影響の大きさをひもとく。
類似性についてはもはや常識と化していて
特に目新しさはないが、個々の作品の面白さに目を奪われる。

個人的には、今まであまり観る機会のなかった
日本の作品のほうが興味深かった。
歌川広重の「名所江戸百景」にみる構図の妙、
葛飾北斎の「富嶽百景」の圧倒的な迫力。
それらは、日本が世界に誇るべき芸術作品だ。
印象派の巨匠たちが採り入れようとしても、
そこには大きな隔たりがある。
富士山をめでる日本人の魂、
波涛の移ろうさまに目を奪われる美意識はやはり、
日本という土地が持つ特色に基づくものがあり、
そこまでは模倣できるものではない。
ジャポニスムの作品群を観たところ、
軍配は日本の作品のほうにあると感じられた。

しかし、中には面白い作品もある。
今回の注目作品とされている
モネの《ラ・ジャポネーズ》はさすがだ。
まず、妻のカミーユを等身大で描くという発想、
そして物語性をはらむ着物を着せるという大胆さに驚かされる。
チャーミングであるとともに、エキゾチシズムを感じさせ、
思わずじっくり見入った。
ムンクやアンソールなども展示されていて、
ジャポニスムの解釈もなかなかに広いものだ。

私たちが西洋美術にあこがれるように、
西洋の芸術家たちは、日本の美術に
それまで観たことのない個性を見いだし、
自分たちの芸術活動に取り入れた。
それこそまさに文化の交流。
アートとはコミュニケーションなりということを
あらためて感じられた。


<展覧会オフィシャルサイト>
http://www.boston-japonisme.jp/
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「茨木のり子展」 [アート]


「茨木のり子展」
4月19日(土)~6月29日(日)
世田谷文学館


茨木のり子の名前を知ったのは彼女が亡くなってからで、
没後に出版された『歳月』のレビューを書く仕事が、
彼女を知るきっかけとなった。

『歳月』は、1975年に亡くなった夫、安信に向けて
書いた詩や草稿を、茨木の甥が詩集として刊行したもの。
そのとき初めてふれた彼女の言葉は
いずれも鮮烈で、美しく力強く、いつまでも心に残った。

……と思っていたのだが、
じつのところは初めてではなかったかもしれない。
というのは、妹に茨木のり子の話をしたところ、中学校の美術の先生が
彼女が好きで、作品を紹介してくれたことがあったという。
私も同じ先生に教わっていたので、
どこかの機会でふれたことがあるはずだ、というのだ。
ところが私、恥ずかしながらまったく記憶がない……。

いずれにしろ、私にとっては初めて知ることの多い展覧会だった。
今回は、詩の草稿や創作ノート、
「櫂」同人をはじめとする詩人たちとの書簡、日記やレシピなど
貴重な資料の数々を紹介して茨木の詩作世界をひもとくとともに、
カメラやアクセサリー、めがねや筆記具など愛用の品々も展示し、
そのていねいな暮らしぶりもあわせて紹介する。

「わたしが一番きれいだったとき」
「自分の感受性くらい」「倚りかからず」をはじめとする
詩の生原稿はもちろん、詩人仲間の
谷川俊太郎や川崎洋らとの書簡や日常的なメモにいたるまで、
“書きもの”は思いのほか多く残されている。
そうした些細なものであっても
ラフな筆致ではあるが、まめに書きつづられていて、
日常をていねいに暮らしながら、自分にしか書けない言葉を
模索していた詩人の人柄が存分にうかがえた。

なかでも興味深かったのは、
日記に書きつづられたある日の出来事。
玉子焼きを作るために玉子をかき混ぜているとき、
「小さな渦巻き」のモチーフがふいに立ち現われたと書かれている。
なるほど、彼女は日常の暮らしの中から
創作のきっかけをつかんでいたのだ。
また、夫への小遣いも含め、購入したものをきちんと書きこんでいる
家計簿もまた、意外な一面をみるようで楽しい。
そうした生活の一場面、詩人たちとの交流、韓国語への関心などを
みるほどに、茨木のり子という人物への興味はさらに高まり、
どんどん惹かれていく。

最後のコーナーでは、没後に刊行された『歳月』に収められた
最愛の夫・安信への思いを込めて書かれた詩や草稿を展示する。
白いクロスで覆われた一角は、まるで侵しがたい聖地のよう。
純粋でまっすぐな夫への愛があふれる
ラブレターのような作品群がひっそりと置かれている。
読むほどに茨木の言葉がものすごい勢いで流れ込んできて、
胸がいっぱいになってしまった。


茨木の最大の魅力は、揺るぎない精神とたおやかさ。
どの言葉もまったく古びない。
それどころかますます鮮烈になり、
私たちの前に道を指し示してくれているようだ。
行き先を見失いそうになったとき、
迷いを断ち切れないとき、
わたしはおそらくこれから何度も、
茨木のり子の作品を読み返すことになるだろう。

<世田谷文学館ホームページ>
http://www.setabun.or.jp/index.html


永遠の詩02 茨木のり子

永遠の詩02 茨木のり子

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2009/11/30
  • メディア: Kindle版



茨木のり子の家

茨木のり子の家

  • 作者: 茨木 のり子
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2010/11/26
  • メディア: 単行本



清冽―詩人茨木のり子の肖像

清冽―詩人茨木のり子の肖像

  • 作者: 後藤 正治
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/11
  • メディア: 単行本



歳月

歳月

  • 作者: 茨木 のり子
  • 出版社/メーカー: 花神社
  • 発売日: 2007/02
  • メディア: 単行本



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「アール・ブリュット☆アート☆日本」 [アート]


「アール・ブリュット☆アート☆日本」
3月1日(土)~3月23日(日)
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
+近江八幡市内近郊7会場


noma.jpg
先日、ふと思い立って近江八幡に行ってきた。
ずいぶん前からヴォーリズの建築群をみたいと思っていたし、
時代劇(鬼平犯科帳、剣客商売など)に
よく登場する水郷も訪れてみたかった。

そんな折、近江八幡でアール・ブリュットのイベントが
行われることを知り、ナイスタイミング!とばかりに足を運んだ。

アール・ブリュットに興味を持ったのは、
昨年、世田谷美術館で行われた
「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」
がきっかけだった。
専門的な芸術教育を受けていない人、あるいは
障害を持つ人による作品を、
アール・ブリュット(生の芸術)もしくはアウトサイダー・アートと呼ぶ。
昨年、何度かアール・ブリュット関連の展覧会を観て、
これまで観てきた芸術作品とは違うものを感じた。
何が違うかはうまく言葉にできないのだが、
美しさの追求やメッセージ性とは違うところでの
創作にかける熱っぽさが伝わってくるようで、惹きこまれてしまったのだ。


このイベントでは、
「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」を拠点として、
近江八幡近郊にある古民家や美術館など7会場で
35作家の500作品超の展示が行われた。

アール・ブリュットは大変幅広く、
その作風もじつに多様である。
粘土の立体作品、毛糸を紙に通して描いたダイナミックな絵、
写真の連作、壮大なスケールの細密画など、技法はさまざま。
そして、そのすべてが新鮮な驚きに満ちている。
特別展示として、
日比野克彦さんの段ボールアート、
昨年のベネチア・ビエンナーレに出品した
澤田真一さんの立体なども出展されていた。

数多くの作品を観て回った中でも、
魲万里絵さんの作品は圧巻。
濃淡のはっきりした色づかいで隅々まで力強く描き込まれていて、
繊細でありながら、
作品全体から放たれるエネルギーに圧倒される。
モラル的にふれてはいけないものから目をそらすことができず、
どうしても描かずにはいられないという強い衝動が伝わる。
その熱は画面全体を覆い、観る者にも直視することを要求するかのようだ。

アール・ブリュットの作品群を観ていると、
緻密に描き込まれた作品が多いが、
作家たちは、そうしたプロセスを通して自身の心を見つめたり、
世界との関係性を探ったりしているのではないだろうか。
何を描くかより、
思うまま、感じるままに手を動かす行為にこそ意味があり、
その結果としての作品を完成させることで
何かを得ているのではないかと感じた。

かわいらしく見える絵であっても、
じっくり観ていくと、生の感情がふと表れていて
グロテスクな部分があったりする。
どちらかといえば、人物をはっきり登場させる作品は
少ないように思っていたが、
台湾の作家の作品群では人物をメインに描いたものがあり、
そうした違いもまた興味深かった。

そのほか印象に残った作家は、
松本寛庸さん、富塚純光さん、今村花子さん……
多すぎて書ききれない。

街の雰囲気を楽しみながら近隣の会場を回る仕掛け、
それぞれの建物のたたずまい、展示の見せ方に工夫が凝らされていた。
また、自宅に迎え入れるようなスタッフの方々の
温かい対応も心地よく、
ゆったりした気持ちで楽しむことができた。

会場に関していえば、「まちや倶楽部」がとても印象的だった。
1717年創業の旧造り酒屋の建物を利用した広々とした空間に、
ゆったりと作品が展示されていて、独特の空気が満ちていた。
立派な梁や酒造りの道具などが残された建物自体も
ふだんは公開していないとのことなので、貴重な機会となった。

今回のイベントに参加するうち、
アール・ブリュットに興味を持つ
きっかけが、相当昔にさかのぼることに思い当たった。
小学生の時、同じクラスに障害をもつ男の子がいた。
彼はいつもニコニコ笑っていて、優しくて、
そして粘土遊びが驚くほど上手だった。
彼が大好きな恐竜や動物の造形を、
鮮やかにかつ濃やかに再現して見せてくれた。
そのたび、私たちは歓声を上げたものだった。
何十年も昔のことですっかり忘れていたのだけれど、
記憶の底から突如として浮かび上がって来たことに驚いた。


アール・ブリュットの作品群は、
観れば観るほど関心が高まる。
作家についても、さらに知りたくなる。
おそらく、これからしばらくは
注目していくことになるのではないかと思う。



<ボーダレス・アートミュージアムNO-MA>
http://www.no-ma.jp/


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「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ-」 [アート]

「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ-」
2013年11月23日(土・祝)~ 2014年1月26日(日)
東京都写真美術館

1月2日は無料開館という情報を
新聞広告で見かけ、それならばと出かけた。
開館して18年にもなるというのに、前を通ったことは何度もあったのに、
東京都写真美術館に足を踏み入れたのは初めてで、自分でも驚いた。
個人的なことを言えば、写真に関しては印刷物と印画出力とに
あまり大きな差がないと思っている。
絵画や彫刻などの作品に関しては、基本的にはオリジナルしかないし、
印刷物では絶対に再現できないため
直接自分の目で見ないと分からないことが多すぎるが、
写真に関しては、ある程度想像がついてしまう。
だから、私が写真展を観る時は
作家もしくは被写体によほど興味がある時、
あるいは時間がたっぷりある時なのだと思う。

今回は、
「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ-」
「路上から世界を変えていく 日本の新進作家Vol.12」
「高谷史郎 明るい部屋」
という三つの展示が同時開催されていた。
中でも植田正治が足を運ぶきっかけとなった。

「植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ-写真であそぶ-」は、
アマチュア写真家のスタンスを貫いた二人の写真家の作品を並行して展示する。
身近な人物や風景を被写体とする点で共通しているが、
植田とラルティーグの撮り方は大きく違っていた。

植田正治は、主に生地である鳥取の風景を舞台に、人物や物体を配置した、
Ueda-cho(植田調)とよばれる演出写真で名が知られている。
モノクロームで切り取られた作品は
どことなくノスタルジックでユーモラス。
構図にこだわって撮っているため、
まるで絵のようで、シュルレアリスムの影響を思わせる。

一方、同時に展示されている
フランスの写真家ジャック・アンリ・ラルティーグは
子供のころに親からカメラを買い与えられたことを
きっかけに写真を始めたという。
被写体は主に身近な人たち。いわばスナップショットのように
何気ない日常の場面を、気負いなく捉えた作品が多くみられる。

今回初めて観たジャック・アンリ・ラルティーグの作品が気に入った。
スポーツに興じる一瞬の躍動感や
親しい人だけに見せる屈託のない笑顔、
豊かな表情など、人間味あふれる一瞬をうまく捉えている。
被写体と撮影者の関係や距離感までもが映し出されているようだ。

植田の作品はアート、
ラルティーグはジャーナルであるといえるだろう。
私はどちらかといえば報道写真が好きだ。
二度とない瞬間を画面に閉じ込め、人の目を引き付ける。
それが写真の魅力であると、個人的には思っている。

同時開催の
「路上から世界を変えていく 日本の新進作家Vol.12」も面白かった。
新進作家と銘打たれている通り、実験的で挑戦的な作品が並んでいて、
正直言ってよくわからない部分もあるが、どれもみな新鮮な印象を受ける。
糸崎公朗のフォトモは懐かしかったなあ。
『散歩の達人』連載時は、いつも楽しみにしていた。
同僚のデザイナーがすばらしくていねいに組み立ててくれたこともあったっけ。

写真とひとことでいっても、表現方法はそれこそ無限にある。
デジタルに移行したことで、技術的な可能性はさらに広がり、
見栄えがよく美しい写真は誰でも撮れる(作れる)ようになった。
その分、逆説的ではあるが、コンテンツが
より問われる時代になったのではないかと思う。

<東京都写真美術館ホームページ>
http://www.syabi.com/
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「京都―洛中洛外図と障壁画の美」 [アート]


「京都―洛中洛外図と障壁画の美」
2013年10月8日(火)~12月1日(日)
東京国立博物館 平成館

国宝、重要文化財に指定されている
「洛中洛外図屏風」全7件を展示。なかでも、
当時の風俗を緻密に描いたことで知られる「洛中洛外図屏風 舟木本」が注目を集める。
また、龍安寺の石庭を高精細の4Kで再現した映像、
アメリカから里帰りした襖絵、狩野派の絵師が手がけた二条城の襖絵など、
京都を彩った数々の名作が一堂に会す、ダイナミックな展示である。

会場を入るとまず目に入るのは、高精細4Kで再現された「洛中洛外図屏風 舟木本」。
鮮やかな映像を大型スクリーンに映し出し、見どころを紹介する。
そして続くのが、その実物。
祭りの様子や商店の並ぶ風景など、当時の風俗を
たいそう細かく描きこんであって、リアルできらびやかだ。
繁栄していた都市の様子がよくわかる。
画面のそこここでドラマが繰り広げられる様は、
どことなくブリューゲルの作品を思わせる。
「上杉本」「歴博甲本」などとの作風の違いをみるのも楽しい。

龍安寺のコーナーでは、四季の移ろいを背景に
石庭を映し出す映像が大変面白かった。
季節が変わりゆくと、石庭もそれに合わせて表情を変える。
寒々としていたり、どこか溌剌としていたり、
黙しているはずの石が雄弁にみえてくるから不思議だ。
龍安寺の石庭はものすごく好きな場所なので、
実物にはかなわないだろうと思ったが、意外に楽しめてしまった。

最後に展示されるのは、二条城の襖絵。
狩野一門による作品群は、いずれも迫力満点。
松の葉のあおあおとした色彩、桜の花びらのふっくらとした質感、
眼光鋭い鷹の躍動感など、さすがの画力に思わず引き込まれた。

障壁画などは、ふだんあまり観る機会がないので
予想がつかなかったが、体系的に観てみると興味深い。
空間や建物の特徴を活かして描かれている点では
現在のインテリアデザインに通じるものがあるし、
権力を象徴する絵が描かれる点では、
ブランディングに通じるようにも思えた。


ところで、つい先日も書いたが、
昨今、美術館や博物館が開館時間を延長しているのが大変ありがたい。
しかし、いかんせん閉館時間が迫っているため、
ゆっくりじっくり鑑賞するわけにはいかないのが難点だ。
大変わがままを言うようだが、
もう1時間延長してくれると本当に助かる。
夜間開館すればその分、入場者数も増えるし、
雇用も拡大できると思うのは楽観的な考えだろうか。
日本はやはり文化を育てる土壌という点で未成熟だ。
パリの美術館は模写自由、日曜日は入場無料など、
お金をかけなくても芸術を楽しむことができるよう
システムが充実している。
芸術、文化は余剰品であるという印象があるから、
どうしても後回しになりがちだろうが、
芸術、文化のインフラ整備をどうしても期待してしまう。

休日の日中に比べて少ないものの、
それでも結構な数の観客がいて熱心に鑑賞していた。
夜間開館のニーズは高い。


<展覧会オフィシャルサイト>
http://www.ntv.co.jp/kyoto2013/

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「ミケランジェロ展」 [アート]


「システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展―天才の軌跡」
9月6日(金)~11月17日(日)
国立西洋美術館


2カ月以上も会期があったのに、いつもの通り
わりとギリギリになって鑑賞。
たまたま文化の日に足を運んだのだが、この日は20時まで開館していたので、
ゆっくり見ることができてとてもありがたかった。
開館時間の延長はたいへん結構。
どこの美術館でも大いに取り組んでいただきたい。

さて、ルネサンスの巨匠のひとりであるミケランジェロであるが、
その作品のほとんどが壁画や天井画、フレスコであるため
現地で鑑賞する以外、観る機会はたいへん少ないといっていいだろう。
今回は、素描を中心に30点以上の作品類と関連作品など合計60点を展示し、
ミケランジェロの創造的プロセスとその秘密に迫る。
なかでも今回の注目作品は、〈階段の聖母〉とよばれる大理石の浮彫。
なんと、15歳前後の若さで制作したといわれている。

作品は4章に分けて紹介される。
第1章は、「伝説と真実:ミケランジェロとカーサ・ブオナローティ」。
会場を入ってすぐに目に入るのは、ミケランジェロの肖像画。
ルネサンスの巨匠を描いた作品は、
見開かれた双眸に意志の強さを、肌艶の良さに創作にかける情熱を表しているよう。
また、このコーナーでは素描の傑作といわれる〈レダの頭部習作〉が注目を集める。
女性をモデルにすることがなかった当時、男性をモデルにして
描いたそうだが、チョークをのせた線の繊細さに目を見張る。
人間の輪郭に、これほどまでに目を奪われるとは思わなかった。

第2章は、「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂」。
ヴァチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂に描かれた
「創世記」の場面を中心とする天井画(1508‐12年)と、
祭壇正面壁面の〈最後の審判〉(1536-41年)の
制作工程をひもとき、その秘密に迫る。
ここで展示されるのは、たとえば人間の腕や裸体のポーズを描いたスケッチ、
あるいは全体図の初期構想などだ。
完成系ではないものの、かえって芸術家の思索の過程を
垣間見ることができて興味深い。
また、なかでも目を引いたのは、システィーナ礼拝堂天井画の部分の実物大展示。
その大きさに驚くとともに、すべての絵を描き切るまでに
どれだけの労力と時間をかけたのだろうと、気の遠くなるような作業に思いをはせた。

第3章は、「建築家ミケランジェロ」。
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の建築監督として、
さらにはフィレンツェの聖ロレンツォ聖堂などに大きくかかわった
彼の建築家としての作品を展示している。
いわゆる設計図、パースのたぐいなのだが、
その一つひとつがていねいに描かれていて、まさに芸術的。
柱の配置や造形にアイデアがふんだんに施されていて、
意外な(わたしが知らなかっただけか)一面を見ることができる。

そして第4章では、「ミケランジェロと人体」と題して
ミケランジェロの人体表現に迫る。
彼の作品の特徴は、なんといっても肉体の描写にある。
浅浮彫(スティアッチャート)技法で作られた〈階段の聖母〉は
前述したとおり若いころの作品だそうだが、
憂いを秘めたような表情や柔らかそうな質感を感じさせる
衣服の描写を見る限りでは、とてもそうは思えないほど完成度が高い。
最後に展示してある小ぶりな木彫りの
〈キリストの磔刑〉もまた、質素ながら強い印象を残す。
荒削りのように見えるが、筋肉の様子なども
きちんと表現されていて、熟練の技と力強さを感じさせた。


全体を通して印象的なのは、やはり人体の描写である。
力強い筋肉、やわらかな肌の質感などなど、
どれだけ人間の姿を観察していたのだろうと思わざるを得ない精巧さで描かれる。
中でも、〈最後の審判〉のキリストの描写には驚いた。
若々しく適度に筋肉のついたキリストの姿なんて、
今までお目にかかったことがないのではないか。
まさにルネサンス的表現であると同時に、それ以上にミケランジェロ的である。

会場内のシアターでは、
システィーナ礼拝堂の内部を超高精細カメラで映した
「Sistine 4K ミケランジェロ 完全なる美の記憶」が上映されていた。
現地に行っても観ることができないだろう大きさで再現されていて、
その圧倒的な迫力、繊細さ、美しさに驚くばかり。
ミケランジェロという人の才能にひれ伏してしまう。
神々の姿を描くうちに、神に近づいてしまったのだろうか……。
天才というものはどの時代にもどの分野にもいるものだが、
そうした数々の天才と呼ばれる人のなかでも、
ミケランジェロは突出した才能をもつ人だったのではないかと思う。


また、会期を同じくして
「ル・コルビュジエと20世紀美術」
8月6日(火)~11月4日(月・休)も開催されていた。
ル・コルビュジエが設計した本館の常設スペースが、
彼の作品で埋め尽くされる光景は圧巻。
ル・コルビュジエは建築家として名が知られているが、
絵画や彫刻、映像、タピスリーなど数々の芸術作品を制作していた。
建築についてはある程度概略をつかんでいたが、
芸術作品をこれほどまでに残していたことは、初めて知った。
正直を言えばこれといって印象的な作品はないのだが、
その数の多さとヴァリエーションに感心する。
同時代のキュビスムからの影響、アール・ブリュットへの関心など、
さまざまな分野に興味を持っていたことがうかがえた。

美術館を出たころはすでに閉館時間。
暗闇に沈むル・コルビュジエの設計作品、
さらにはライトアップされるロダンの彫刻群を見ながらの
帰り道がなんとも心地よい。
次回の展示は、
「国立西洋美術館×ポーラ美術館 モネ、風景をみる眼―19世紀フランス風景画の革新」
12月7日(土)~2014年3月9日(日)
こちらも気になる。

<国立西洋美術館ホームページ>
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html


[オマケ]
余談だが、最近みたもののほとんどに共通するのが
アール・ブリュットである。
じつをいえば、仕事でもアール・ブリュット作品を観る機会が多く、
調べてみたところ、近江八幡にこんな美術館があることがわかった。
近江八幡の観光も兼ねて、いつか行ってみたい。

<ボーダレス・アートミュージアムNO-MA>
http://www.no-ma.jp/




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「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」 [アート]



「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」

2013年9月14日(土)~11月10日(日)
世田谷美術館


つい最近、キュレーターの原田マハ氏が書いた
『楽園のカンヴァス』と『ジヴェルニーの食卓』を立て続けに読んだ。
両方とも主にルソー、マティス、ゴッホ、ピカソ、モネ、ドガなど
19世紀から20世紀初頭のフランスを中心に活躍した
画家たちの絵画に隠されたエピソードなどを
題材にしていて、大変興味深かった。
私は中学生くらいの頃から絵画が好きで、わりと頻繁に観てきたつもりだが、
ただ興味の赴くまま観るだけで、じっくり眺めたり
その来歴を調べたりすることはあまりしたことがなかった。
小説だからもちろん事実と違う部分が多いだろうが、
今まで何度も目にした有名な作品も、
そこにストーリーが加わると見方がすこし違ってくる。
小説に登場する画家たちや彼らを取り巻く人物たちが
体温を感じさせるほど生き生きと描かれていて、
当時の画家たちの人物像やパリの風景が自然と脳裏に浮かんだ。
人も物も、知れば知るほど好きになる。
また久しぶりに、その時代の作品群を観たいと思った。

そんな矢先、今回の展示があると知ったのでさっそく足を運んでみた。
考えてみたら、世田谷美術館に行くときはだいたいルソー関連なのだが、
それも当然だ。ルソーは世田谷美術館の所蔵作品の目玉なのだ。
過去にも2回、世田谷美術館の展示について記事にしている
(リンクは本ブログ内の記事)。

「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」2006年10/7(土)~12/10(日)
「ザ+コレクション+ヴィンタートゥール」2010年8/7(土)~10/11(月・祝)


絵を好きになったころから、ルソーはわりとお気に入りだった。
観ればすぐわかる絵柄、ポップな色遣いなど、
どことなくかわいらしい雰囲気に好感を覚えた。
オルセーでもMoMA(私が行った時はQueensにお引越し中だったが)でも
オランジュリーでも東京国立近代美術館でも、
ルソーを観るといつも愉快な気持ちになった。
自由奔放で伸びやかで、時にコミカル。
特に、世田谷美術館で開催された
「ザ+コレクション+ヴィンタートゥール」で観た
「赤ん坊のお祝い!」には爆笑した。


今回の展示は、世田谷美術館の所蔵作品を中心とした約140点を
「画家宣言―アンリ・ルソー」に始まる
独自のテーマに沿った10のカテゴリーに分けて構成している。
それぞれのテーマがユニークで、
おなじみの作品でも、カテゴライズの仕方で新鮮に感じられる。
ルソー作品は4点とそう多くないものの(しかも何度も観ている)、
展示テーマのおかげで、またちがう見方ができた。
“素朴派とアウトサイダーズ”とは
美術の専門教育を受けたことがない人、
たとえばほかに職業を持ちながら作品を作り続けた人、
あるいは精神に障害を持つ人など。
職業として作品を生み出すのではなく、
自身の欲望、本能、衝動のままに生み出された作品の数々は
職人級の画家たちの作品と違って、
画家たちの自由意思の発露であることが明らかであり、
観ていてすがすがしい。

注目作品は、アンリ・ルソーの《サン=ニコラ河岸から見たシテ島》。
渋みのある色合いで描かれたパリの夜景。画面の中心に白く輝く月が印象的だ。
他、《フリュマンス・ビッシュの肖像》《戦争》
《散歩(ビュット=ショーモン)》の4点と
展示数は少ないながらもやはり彼の作品はどれも魅力にあふれている。
画力はないのかもしれないが、
隅々まで塗り込められた繊細な色を見つめていると、
そこに込められた画家の情熱、意図、そして人柄までも伝わってくるようだ。

続く「余暇に描く」というコーナーでは、
本業を営みながら趣味的に絵を描いていた人の作品が並ぶ。
中には、英国首相を務めたウィンストン・チャーチルの風景画などもあり、
余暇を過ごした別荘の周辺を描く、優しく繊細な筆致に驚かされた。

「人生の夕映え」と題されたコーナーでは、
70代で絵を描き始めたグランマ・モーゼスをはじめ、
異色の経歴の持ち主たちが名を連ねる。

個人的にもっとも衝撃的だったのは、
「道端と放浪の画家」の一角を占める
バスキアの巨大なコラージュ作品《SEE》。
遠目で見てもわかるほどの圧倒的な存在感。
膨大な量のエネルギーを解き放つような
強い力に満ちていて、大変カッコイイ。

絵の描き方など人それぞれであり、
若い時から始めなければ、とか、才能がなければ、といったような
固定概念や先入観などまったく関係ないことが
実感としてわかってきて、その自由さに解放感を覚える。
絵に対する向き合い方も人それぞれだ。
もちろん仕事にする人もいれば、
趣味として余暇の楽しみとする人もいる。
さらには、何かに触発されて
描かねばという義務感にかられる人もいるし、
自身の心の中を覗き込むように制作を続ける人もいる。

つい先ごろ、岡本太郎の『今日の芸術』を読んでいたこともあり、
アートとは、自分にとって何なのか、とか
何をもってよいとするのか、などといったことをつらつらと考えていたが、
この展示を観て、ある意味ではその答えにたどり着いたような気がした。
岡本太郎の芸術に対する名言、
「今日の芸術は、うまくあってはならない。
きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」に
集約されるのではないかと今は感じている。
つまりは、良くも悪くも人の心を動かすものでないと、
芸術としての意味をなさないということなのだろう。

わたくしごとだが、
最近読んだ本などがシンクロしたりリンクしたりすることが
本当に多くて不思議で楽しい。
自分の興味の連鎖が積み重なり、
いつか形となってアウトプットできれば、などと考えたりもする。

<世田谷美術館ホームページ>
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/index.html


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「ラファエロ」 [アート]


「ラファエロ」
3月2日(土)~6月2日(日)
国立西洋美術館


今年は「日本におけるイタリア2013」ということで
その一環として行われた美術展。
ダ・ヴィンチ展も6/30まで東京都美術館中だ。
秋にはミケランジェロも来日する(9/6~11/17 国立西洋美術館)。


イタリア・ルネサンスを代表する画家ラファエロの大規模な展覧会は日本初となる。
今回は、ラファエロの油彩と素描合わせて23点とともに、
同時期に活躍した芸術家たちの作品や、ラファエロの原画をもとにした
タペストリー、版画、工芸など計約60点を展示し、
ラファエロの作品世界にさまざまな角度からアプローチする。
なかでも注目を集めているのは、代表作品とされる《大公の聖母》。
展示数は多くはないが、一つひとつが濃密であるがゆえに、
大変充実した展示だった。


ラファエロの作品は今まで
写真や映像を通してしか観たことがなかったのかもしれない。
ほとんど初めて実物に際して、その表現力と描写力に驚き感動した。
つややかでなめらかな肌、布のすべらかな様子、
バックに描かれる遠景に至るまでも
その手触りを感じられるほどのきめ細かさで描かれている。
特に人物画においては、今にも動きだしそうなほど
生命力にあふれ、豊かな表情を見せる。


今回の展示の目玉である《大公の聖母》を間近に観て
思わず言葉を失った。
ダブルブラックをバックに幼子イエスを抱きかかえた
聖母の表情は慈愛に満ち、そしてイエスは
まるで老成したような、何もかも見通したようなまなざしを見せる。
本作はもともとバックに建物などが描かれていたが、
後世になって黒く塗りつぶされたことが
近年のX線調査により判明したそうだ。
元の絵も観てみたかったような気もするが、
ダブルブラックのバックがあるからこそ、肌の質感が生かされているように思う。
ある意味、ラファエロと後世の人物との合作ともいえよう。


また《エゼキエルの幻視》は小品ではあるが構図が見事な作品。
さらには、ラファエロが下絵を手がけた
巨大なタペストリーの描写力と構図の巧みさに圧倒された。
宗教や神話に材を取った作品でさえも
生命力に満ち、躍動感あふれる。
まさにイタリア・ルネサンスの生んだ芸術
そのものの魅力が凝縮されている。


美術作品を印刷で再現することがいかに難しいかを
あらためて感じさせられた。
画集などをどれだけじっくり眺めていても、
わからないことは山ほどある。
じかにふれて、じかに感じないと何事も自分のものにならない。
実体験の貴重さがよくわかるというものだ。
やはり、美術展も芝居もライブも、億劫がらずに足を運ばねばな、と思う。

IMG_1592.JPG
常設エリアのロダン作品コーナー。


<オフィシャルサイト>
http://raffaello2013.com/


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「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」 [アート]

「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」

1/26(土)~3/24(日)
横浜美術館


東京でソメイヨシノの開花宣言が出された暖かな土曜日、
久々に横浜美術館まで足を延ばした。


“ロバート・キャパ”は、
アンドレ・フリードマンと、公私ともにパートナーだった
ドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ)の
二人によって生みだされた架空の写真家だったという。
1934年にパリで知り合った二人は、無名だったアンドレの写真を売り込むため、
“ロバート・キャパ”という架空の名前を作り出した。
仕事が軌道に乗り始めるとフリードマン自身がキャパとなり、
ゲルダもまた、キャパのもとで写真を勉強して報道写真家となるが、
ゲルダは1937年スペイン内戦で戦死。
その後、彼女の名前が世に出ることはほとんどなかった。

今回の展示は、横浜美術館が所蔵する
193点もの作品を一堂に展示するという初の試み。
さらには印刷物などの関連資料も含め、膨大な作品が展示されている。
ゲルダの作品を初めて見ることができるという意味で、
さらにはキャパの全活動を網羅するという意味でも、見る価値は充分あった。

展示の構成は、
[Part 1]ゲルダ・タロー Gerda Taro Retrospectiveと
[Part 2]ロバート・キャパ Robert Capa Centennialの
二つの個展という形をとる。

まず最初は、ゲルダ。
彼女が使用するのは、ローライフレックスという正方形の画面を映すカメラ。
そのため構成が独特で、空を大きく撮りこんだ画面や
背景を入れこむことで撮影対象の背景や
パーソナリティを伝えるような作品が見られた。
キャパと比較してみると、繊細でアーティスティック。
戦場でもどこでも人物に寄った作品が多く、
ゲルダの人柄をうかがわせる。

対してキャパの作品は、いかに情報を多く入れるかに
注力しているように思える。
すなわち、報道に徹しているということだ。
そこに起きている事柄はもちろんだが、
居合わせた人物の表情やしぐさにこそ、戦争の悲惨さ、緊急性、
活動にかける思いなどが表れることを示唆するようだ。

ゲルダとキャパが同じ日に撮った写真を
並べた展示がとても興味深かった。
同じ場面を映しているはずなのに、こうも違うのかと驚く。
焦点の置きどころ、画面構成などに二人それぞれの
写真に対するスタンスが表れている。

戦争の写真ばかりではない。
キャパは新聞社の招聘により、1954年日本に来た。
その際に映した作品の数々は、寺社仏閣や観光名所のたぐいではなく、
市井の人々の日常生活やなにげない風景だった。
東京駅に子どもが所在なげにたたずむ作品など、
いわば“普通の人の普通の時間”を見ると、ほっとする。
戦争の写真は、迫力はあるものの、
そればかり見ていると、やはり心が重くなるものだ。

この世からすべての戦争がなくなれば自分は失業する、と
キャパはゲルダに言っていた。
彼は自分が失業しても、戦争がなくなるほうがいい、と
思っていたにちがいない。
戦場を職場とし、それまで多くの凄惨な場面を見てきた経験から、
身をもって感じていたのではないだろうか。

ゲルダと知り合うことがなかったら、
キャパはこれほど有名にならなかったかもしれない。
あるいは、ゲルダが戦死しなかったら、
キャパより有名な写真家として、後世に語り継がれたかもしれない。
そんな仮定ばかりが、脳裏に浮かぶ。
二人の写真家の偉業を目に焼き付けると同時に、
頭の隅で、人生一寸先は闇だ、何が起こるか分からないと
通奏低音のように感じ続けていた。

キャパの十字架

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  • 作者: 沢木 耕太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2013/02/17
  • メディア: 単行本



ちょっとピンぼけ (文春文庫)

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  • 作者: ロバート・キャパ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1979/05
  • メディア: 文庫



<オマケ>
横浜といえば、ありあけのハ~バ~♪
いまはこんなに種類があるんだよ。都内では手に入らないんだよな。
IMG_1567.JPG

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